かつて彼が聞きました。
人の心は何だと。
かつて彼は言いました。
生きるためには自分以外の存在が邪魔なのだと。
フートの様子は少しやつれている程度で、そう大きな変化は見られない。
だが、彼に言わせれば中にいるダークがそう見せかけさせているだけで、本当はいつ目覚めてもおかしくないらしい。もしそれが本当だとすれば、かなり大問題だ。
倒すにしても、ダークがフートの中にい続ける限り、彼を道連れにしてしまう。しかも道連れにしたところで、ダークはまた別の器を探せばいいだけなのだから、いたちごっこだ。
フートを傷つけずに、ダークに大きなダメージを与えられる方法。それがあれば。
(いっそフートの心の中に入り込めればなぁ……)
ばい菌などではないから、心の中に入った所で一発でダークだと解るとは思わないが、それでもフートごと浄化するよりかはマシかに思える。
「何かいい方法ないかな?」
「そんなの俺が聞きたいくらいだ」
「……」
そりゃそうだ。シャレルは自分の問いを恥じた。
一番この状況をどうにかしたいのは、誰でもないフートのはず。中にとんでもない爆弾を抱えたまま、のんびりとしていられる人間などそうはいないだろう。
おてんこさまもいない。ブリュンヒルデもどこかに消えた。この状況で、ダークに対しての的確なコメントができる人材はほぼ0に等しい。
どうすればいいのか。シャレルの脳内は、今その言葉で埋め尽くされていた。
と。
近くで、かたかたと何かが動く音がした。気になって音の方を見てみると、ブルーティカの周りにある何かが動き出そうとしている。
ブルーティカの意志はもう生きる事をやめているのだが、ダークマターの影響で無理やり立ち上がらせようとしているのだろう。このままにしておくのはまずい。
フートの事はひとまず置いておいて、まずはブルーティカの浄化をすることにした。おてんこさまがいないのがネックだが、簡易的なパイルドライバーなら作る事ができるだろう。
シャレルはブルーティカを棺桶に閉じ込め、今まで来た道を戻る。その後を、ふらふらとした足取りではあるが、フートがついて行った。
道具屋に戻り、リタをベッドに寝かせると、ジャンゴは酷いめまいに襲われた。
(こんな所で倒れるわけには……)
そう言い聞かせるが、今までの疲れもあって気を抜くとそのまま意識を失いそうになる。頭を振って意識をしっかりさせようとするが、それ以上に眠気に近い何かがのしかかってくる。
目を閉じよう。ジャンゴは素直にそう思った。
そう考えると、急に足から力が抜けてくたっと倒れていく。心のどこかで警鐘が鳴り続けるので、近くにいた誰かの手を強く握った。
「……ゴ、……!」
「し……今……、……から……」
誰かの声が聞こえるが、もうどうでもいい。誰が何を言っているのかも、もうどうでもいい。
今はともかく眠っていたい。疲れを取りたい。
眠って、彼女の心の中へと――。
……来……て…………助けて………………
そんな声を、聞いた気がした。
サバタのガン・デル・ヘルが鋭い音を立てて砕けた。
「ちっ!」
ただの残骸となった長年の相棒を投げ捨て、サバタは素手で走る。誰も知らないことだが、ハーフパンツの中にダガーを二つ隠し持っているのだ。
仕掛けを外して、大きく抜き出す。だがリタの姿をしたダークは、隠し武器に驚くことなく無造作に蹴り上げた。何のトリックも仕掛けもない、ただ足を上げただけの蹴り。
それでも飛び込んできたサバタにはいいカウンターとなりうるので、危うい所でクリーンヒットを避ける。隠し武器であるダガーが、ほんの少しだけぶれた。
ダークの動きは止まらない。サバタが下がった分前に飛び出し、今度は拳をぶつけようとしてくる。
隙を狙っていたレビが、自分のガン・デル・ヘルを撃った。暗黒弾とは違ったエネルギー弾が、一寸の狂いもなくダークを狙う。
狙われたはずのダークは、レビの攻撃をあっさり無視した。今正にサバタを捉えんとしている右手は黒焦げになったが、それでもためらわずに拳が振るわれる。
「あぐっ!!」
攻撃でいくらか衝撃は減っているものの、それでも攻撃力の高い一撃を食らってサバタは悶絶する。自分自身のダメージを省みない一撃に、サバタは内心ぞっとした。
ダークにとって、リタはただの器に過ぎない。代わりはいくらでもいる器のダメージなど、気にするまでの事でもないのだ。
だがこっちにとって、リタは大切な存在だ。代わりはいない。だから必然的に彼女に行くダメージを考えてしまうのだ。
自分たちがリタを傷つけるのが問題ではない。ダークがリタを傷つける方が、遥かに深刻な問題なのだ。
レビもそれが解っている。だから攻撃に躊躇はないが、その一撃一撃に駆け引きも何もなくなっていた。自分たちは、吸い寄せられるように全力を出してしまっていたのだ。
ダークに乗っ取られたリタは、今何を思っているのだろう。自分たちを傷つけていると言う事に、深い絶望を覚えているのだろうか。
(……中から何とかしないと、だめか……!)
中――リタ自身に何か変化が起きない限り、圧倒的不利は変わらない。例えリタ自身に変化があったとしても、劇的に事態が変わるとは思えないが。
それでも、一つだけ賭けはあった。ジャンゴの存在。
彼はずっとリタの傍にいた。リタにとってジャンゴは支えだったし、ジャンゴにとってリタは支えだった。
そんなジャンゴの声なら。もしかしたら、彼女は聞いてくれるのかもしれない。無謀な賭けだがな、とサバタは心の中でつぶやいた。
まあ今はそんな事を考えていても仕方がない。とにかく時間を稼ぐなり何なりしないと、と思い、サバタは何度目か解らないダッシュをかけようとした。
――と。
どこかから明るい光がこぼれたかと思うと、空間を無理やり開いて、誰かが中に入ろうとしてくる。レビやダークは首を傾げるが、サバタにはそれが誰かすぐに解った。
「……やれやれ」
つい口にしてしまう。どうやら、自分たちは前座だったらしい。だいぶ長い前座だったが。
そして転がり込むように、彼が出てくる。ふらふらとおぼつかない足取りなのは、まだ彼の意識がしっかりしていないからなのだろう。
ふわり。全ての始まりと言う空間に、赤いマフラーがたなびく。
こつ。地面などないはずなのに、ロングブーツが固い床を叩く音を立てる。
かちゃ。腰にぶら下げた剣が揺れる。もう一つの武器である太陽銃は、まだその手にない。
ゆらり。ようやく、その人物が目を開いた。
「……帰ろう。リタ」
静かな声で、ジャンゴはリタに呼びかけた。
昔彼女が言いました。
無関心なのには慣れていると。
昔彼女が言いました。
貴方が死ぬ代わりに私が死にましょうと。
ジャンゴの一言を、ダークは鮮やかに無視した。
「来たか、太陽仔。忌まわしき古き血にすがりつく者よ」
その顔に余裕の笑みがあるのは、自分はジャンゴに負ける事はないと思っているからなのか。
だが、ジャンゴは元から奴を浄化する気はなかった。相手は意思そのもの。最初から、完全に滅却できるものではないのだ。
勝てる相手ではないのなら、やる事は一つ。リタを解き放つだけだ。
(死ぬのは覚悟のうちさ。……すぐに後を追ってきてくれるんだろ?)
ジャンゴの脳裏に、サン・ミゲルでの再会のシーンが浮かんできた。ドゥネイルを浄化した後、懐かしいあの声が聞こえて、彼女があの広場にいたのだ。
やれる事はある。そう言ってここに来てくれたリタは、ダークに取り付かれる前は何を思っていたのだろう。
自分を追ってきてくれたリタ。自分のために命を投げ出そうとしたリタ。誰よりも自分を思ってくれるリタ。
だからこそ、守りたいと思った。ダークの呪縛から解放しようと、心の底から思った。
「リタ、帰ろう。僕たちのサン・ミゲルへ。君と一緒に帰ろう」
もう一度、ジャンゴはリタに呼びかける。届いてほしい。そんな願いを抱いて。
リタからの答えは、ない。
――先に動いたのは、ジャンゴからだった。
「はっ!」
愛剣であるブレードオブソルを片手に、ジャンゴが走る。サバタたちはもう既にこの場からはじき出されており、ここにいるのはジャンゴとダークだけだ。
ジャンゴの特攻に、ダークも一応構えてくる。さすがに攻撃してくる相手に無関心、と言うわけにはいかないのだろう。
「……ふん、意味のないことがどこまで続くか、少しだけ見ておこう」
拳が飛んでくる。サバタが内心ぞっとしたその拳は、やはりジャンゴもぞっとさせた。
(まともに打ち合えば、ブレードオブソルでも折れる!)
ガン・デル・ソルがない以上、剣が折れれば攻撃方法が徒手空拳しかなくなる。徒手空拳はリタのもっとも得意とする分野なので、まずやられるだろう。
ジャンゴは剣を引き、一度後ろに下がった。あわせてダークも飛び込み、拳を食らわせようとしてくる。逃げ回っても無駄と言う事か。
「くそっ!」
捉えられる瞬間を狙い、ジャンゴは身体を沈める。幾筋の髪がばらけるのを感じながら、引いていた剣を上に向かって跳ね上げた。
鈍い手ごたえと共に、ぼたぼたと血がジャンゴにかかる。腕が飛んでいないことを確認した後、左肘でダークの腹を強く打って、ダークを大きく吹き飛ばした。
器にしているのが生身の人間のリタなので、攻撃が効かないわけではない。しかし回復速度は尋常なものではなく、一回咳き込んだだけで腹は大丈夫そうだし、切られた腕はもう血を流していない。
「ふ……」
ダークがリタの顔で笑う。
いつもなら人を明るくさせてくれるはずのその笑みは、中身が違うと言うだけで人を嘲笑うようなものへと変化していた。それだけでも許せない、とジャンゴは思う。
(リタの意識は、もうないのか!?)
やはりダークに飲み込まれ、完全にその魂を消されたんだろうかと、絶望的な考えが頭をよぎる。相手は銀河意思。絶対に勝てる相手ではないのだ。
(……いやだ……)
なぜ、嫌なの?
なぜ、拒むの?
なぜ、受け入れないの……?
それは……。それは僕が……。