10年前のことである。
葛羽家と王城家に男の子が生まれた。
奇しくも彼らは誕生日を同じくして生まれ、葛羽家は男の子に「将来」と名づけ、王城家は息子に「嵩治」と名づけた。
……表向きは、ただそれだけの事だった。
「10年前にデビルの力を与えたのは私だから」
ハーミルの言葉はあまりにも非現実的すぎたが、同時に納得の出来る言葉だった。
将来の家庭は両親ともども普通の人間である。そんな彼がデビルチルドレンとして覚醒したという事は、生まれた時にデビルの力を外部から与えられたわけである。
「で、貴方の友達の嵩治君に天使の力を与えたのは、このあんぽんたんでおっちょこちょいのキューピッド・パクよ」
こっそり逃げ出そうとしていたキューピッド・パクの襟首を引っつかんで、将来たちの前に出す。全員の好奇の目にさらされ、パクはしょぼんと落ち込んだ。
「ハーミルとやら。将来にデビルの力を与えるよう命じたのは誰だ?」
おてんこさまがハーミルに尋ねる。ハーミルはおてんこさまの事を知っているらしく、丁寧な口調で答えた。
「ナタナエル様です。かつて天界でラグエル様と共におられましたが、今は風の魔界で身を隠しています」
「天使たちから隠れる理由は? それから将来にデビルの力を与えた理由は?」
「それらは風の神殿にて。……パク!」
また逃げ出そうとしていたパクの襟首を引っつかむハーミル。捕まえられたパクはあたふたとハーミルたちを交互に見ながら聞いた。
「あの、オレがトラポートかけるッスか? つーかなんでオレが?」
「あんたのドジをナタナエル様に報告しなきゃいけないでしょ! 私が言うよりあんたが言うほうが説得力あるわ。それに私トラポート使えないし」
「非道いッス! 横暴ッスよ!!」
「いちいちうるさい!」
どうやらこのコンビ、ハーミルが完全に主導権を握っているらしい。パクはぶつぶつ文句を言いながらもトラポートの魔法を唱えた。
*
ちょっとした眩暈をこらえると、そこは今まで見たことの無い場所だった。
荘厳な柱が並び、壁や地面は自分の姿が映るのではないかと思えるくらいに磨き上げられている。長年の風格を漂わせながら、美しさは新品同様のものだ。
広い空間であるものの、明かりは二つのキャンドルのみ。それでも部屋は暗いというより優しい明るさに包まれている。
一歩踏み出すと、かつん、と小気味いい音がどこまでも響き渡る。天井がどこまでも高く、空気が静謐だからこそ生まれる音だ。
「良くぞ来た」
涼しげだが、重みのある声がした。声のほうを向くと、空間が揺らぎ、一人の天使が現れた。
「ナタナエル様!」
パクの首根っこを引っつかんだままのハーミルが、その天使に恭しくお辞儀をする(パクを掴んだままだったので、その姿は少しこっけいだったが)。
ナタナエルと呼ばれた天使はハーミルに慈悲深い笑みを向けるが、すぐに視線を将来の方に向けた。
「待っていたぞ、葛羽将来。私はナタナエル。今はこの魔界で身を隠している者」
「あんたが俺をデビルチルドレンにするよう、ハーミルに言ったのか?」
将来の問いに、ナタナエルは静かに深くうなずいた。
「その通りだ。事の始まりは、10年以上の前のこと。地上で、キング・オブ・イモータルが倒された時の事だ」
「!?」
おてんこさまとサバタの目が見開かれるが、ナタナエルはそれを見ることも無く先を続ける。
「吸血変異を起こす空からの闇、ダークマター。それらが魔界や天界にも氾濫し始め、イモータルの影が見え隠れし始めていた。
魔界の王であるルシファー、そして天使の長であるミカエルはそれを憂い、一つの伝説に救いを求めた。ハルマゲドンとラグナロクの伝説に。
ルシファーは世界を進化させることで空の闇に対抗できる戦力を育てることにしたが、ミカエルは全てを白紙に戻すことで空の闇が呼ぶ破滅を避けることにした。
どちらにしてもメシアとなる人材が必要だった。
ミカエルは上位の天使である私とラグエルに、生まれ来る赤子に天使の力を与えるように命じた。……ラグエルの真意に気づくことなく。
ラグエルは、全てを白紙に戻そうとするミカエルのやり方を甘いと思っていた。この世紀末を乗り越えるには、天使たちが地上も魔界を統一させ、対抗せねばならないと。
同じ裁きの役を担っていた私は、何度もラグエルと言い争った。だが、奴は考えを変えることはなかった。
……寧ろ私と争ったことで、奴は自分の考えを膨張させ、天使たちを二つに分けるほどの強い意志で行動を開始したのだ」
――そこで一息つき、視線をハーミルの方に移した――
「天界を下りることを決めた私は真っ先にゼブルに面会を願った。ゼブルは対抗できる手段として、デビルの力を与える方法とハーミルを授けてくれた。
私はラグエルの生み出すエンジェルチルドレンのカウンターとして、自らの意思で道を切り開くような子に育ててくれそうな家庭を探し、お前の両親に出会ったのだ。
……お前と王城嵩治が同じ日に生まれたのは全くの偶然だった。ハーミルに、デビルの力を与える子を間違えないように言い聞かせておいたから、間違えることは無かったがな。
そして10年後である今、お前がここに来るのを私はずっと待っていたのだ……」
話は終わった。
将来は自分の右手――デビルチルドレンの証である五芒星が浮かび上がったままの右手をじっと見つめた。
「何も知らぬお前達一家を巻き込んだことは、私にとっては許されざる罪だ。だが、このまま天使……ラグエルを放っておくわけには行かなかった。
奴の望みは魔界と地上の掌握だからな」
「……俺は、こんな力は欲しくない……」
将来が絞り出すような声で、ナタナエルに答える。
「だけど、嵩治を操り、翔に呪いをかけた奴を叩きのめせるなら、この力を使う。
俺たちを散々コケにしたラグエルを倒せるなら、この力を喜んで使ってやる」
……ナタナエルの顔が、僅かにだがほころんだ。
「……ところでナタナエル様、一つ報告したいことが」
ハーミルがそう切り出し、パクを前に出した。最早パクの顔は真っ青を通り越し、着ている物と変わらないくらいに真っ白だ。
ナタナエルに視線で「話せ」とせかされ、パクは恐る恐る10年前の自分のポカを話した。
「……実は、天使の力はそっちの将来にも入ってるッス」
「「何だって!?」」
先に聞かされているハーミルを除いた全員の声がハモった。すくみあがるパクだが、ハーミルに先を促され、ぼそぼそと続きを話した。それはこういうことである。
ハーミルより先にラグエルの命を受けて地上に降り立ったパクは、事もあろうに右と左を間違えて、最初将来に天使の力を入れてしまったのだ。
慌てて嵩治にも天使の力を入れた時、ハーミルが現れた。ハーミルの方は間違えることなく、デビルの力を将来に入れた。こうして将来に天使とデビルの力が両方宿ってしまったのだ。
「……だから、たぶん左手にエンジェルチルドレンの証である五芒星があるはずッスよ」
パクにそう言われ、将来は慌てて左手のグローブを外した。
グローブを外すと、確かに嵩治の右手にあったモノがはっきりと浮かんでいた。
ナタナエルは将来の左手をまじまじと見ていたが、やがて自分を落ち着かせるように一息ついた。まさか、同じ日に生まれた偶然が、こんなことにもつながっていたとは。
真のメシアの条件をそろえた子供が、もうすでに生まれていたとは。
予想外ではあったが、これでラグエルや偽の魔王に対抗する手段は完全となったとも言えた。
「パク、このことをラグエルや魔界の者は知っているのか?」
「え?! あー、いえ、ラグエル様にはまだ話してないッス。話せることじゃないッスよ……。
魔界の奴らにもこんなの話せないッス」
知られた時のお仕置きを想像しているのか、汗だくのパク。それを聞いたナタナエルは、誰にも気づかれないように笑みを漏らした。
「ならいい。お前はしばらくここにいるといいだろう。将来たちも、一晩ここで休め。
その格好で外は出歩けんだろう」
血塗られた服は全て洗濯に出し、将来たちはナタナエルがくれた服に袖を通した。今までずっと長袖の服だったので少し肌寒さを感じたが、すぐに慣れた。
服を必要としないクレイは着替えで騒いでる部屋を後にし、一人外に出た。さわさわと音すら聞こえそうな涼しげで穏やかな風が、綺麗になったばかりのクレイの体毛をくすぐる。
「ええ風やなぁ~」
シャワーも浴び、着替えも済んでご機嫌になったらしい。いつの間にかザジが隣で風を浴びていた。長袖のパーカーにミニスカートだった彼女は、今はバラモンたちと同じ服を着ている。
「将来たちは?」
「あー、あいつらならまだ着替えに手間取ってるとちゃう? ウチはハーミルが手伝うてくれたから簡単やったけどな」
それからしばらくはお互い無言で風を浴びる。日はまだ高いが、何となく今日はもう外に出たくなかった。
「不思議なキノコはナタナエルさまが持ってるらしいで。すぐに見つかってよかったな」
「まあな」
「はよ帰って翔ちゃん目覚めさせな……うっ!」
意識暗転。
「おい、どうした!?」
クレイの声を聞きながら、ザジは意識を失った……。