Change Your Way・8「『ハジメマシテ』」

 リタは怪我人の手当てをあらかた終えて、店に戻っていた。手当てに使った太陽の果実を数え、出庫数を整理していると、ドアが開いてジャンゴがやって来た。
 すぐに立ち上がるが、一つの違和感に気づいて首を傾げる。ジャンゴはその腕に、白い猫を抱えていた。
 猫はくぁぁ、と気まぐれにあくびをしていたが、リタを見るとジャンゴの腕から逃げ出し、リタの胸の中に飛び込んできた。
 頬を摺り寄せて甘えてくる猫に、リタはすっかりご機嫌になってしまう。
「ジャンゴさま、この猫どうしたんですか?」
 リタにじゃれ付く猫をしばらくぼーっと眺めていたジャンゴだが、問われてようやく思い出したように首を振る。
「あ、その猫、ちょっとした事情で拾ったんだ。でも僕は飼えないから、リタ、飼ってみる気はない?」
「え?」
 想像もしなかった言葉に、ついきょとんとしてしまう。自分が飼う? この猫を?
 最初に猫を、次にジャンゴをまじまじと見つめてしまった。犬や猫は嫌いではない。むしろ大好きなのだが、店を開いている以上、何か不都合があるのではないだろうか。
 ジャンゴもそれに気づいたらしく、「飼えないならいいよ。別の引き取り先を考えるから」と取り繕うように手を振る。しかし、猫の方はリタが気に入ったのか不機嫌に鳴いた。
 どうも相当気に入られたらしい。
「いいですよ。家は広いですし、猫を飼える余裕もありますから」
「そう、ありがとう」
 承諾に、ジャンゴは深く頭を下げた。引き取り先が見つかってほっとしているのだろう。――本当は、それ以上の思いもあったのだが。
 猫の方もリタが新たな主人になって大喜びのようだ。お礼と言わんばかりに頬を摺り寄せてくる。その肌触りのよさに酔いしれてしまう。
 意外と猫は聡い生き物だという。案外この行動も自分に好かれるための行為かもしれないが、リタはそれでも良かった。だってかわいくて、自分にここまでなついてくれてるから。
 しつけをきちんとしておけば、店を荒らしたりはしないかもしれない。可愛いマスコットがいるだけでも、店はもっと華やぐだろう。
 何より、一人きりの家から開放される。それは嬉しい。
 リタははしゃぐあまり猫を抱いたままくるくると回ってしまうが、ふとあることに気づいてジャンゴの方を向く。
「この子、名前あるんですか?」
「あるよ」
 その時、リタは気づかなかった。
 ジャンゴの目に、さっと暗い悲しみの感情がよぎったことを。
「ビドゥだよ」

 ジャンゴたちの家に、最近新しい簡易小屋が出来ている。そこはバイクを入れておくための簡易ガレージであり、ジャンゴが一人で物事を考える時によく入る小屋だ。
 意外と魔法機に慣れていないサバタはバイク自体いい感情を持っていないし、カーミラはこういうのは自分で面倒を見るものと思っているからだ。自然、ジャンゴだけがここに入ることが多い。
 というわけで、リタにビドゥをまかせてから、ジャンゴはそこで『シヴァルバー』について考えていた。
 ザジが知っていたのは『シヴァルバー』は地獄の一つだということだけで、それが街なのか何なのかは全然分からなかった。
 ヤプトから『シヴァルバー』に来いと言われたものの、行き方が分からなければどうすることも出来ない。せめてどこそこにあるぐらいは言えよ、とジャンゴは心の中で毒づいた。
 あの白い少女も行き方を知ってそうだが、彼らがまたここに来るとは思えない。このまま待っていても、何の収穫もなさそうだ。
 だが、手がかりが極端に少ない今、ウカツに動くのは死活問題に繋がる。何せ相手は自分を一度負かしたザナンビドゥがいたクストースなのである。
「いっそ遺跡のあの部屋へ行ってみるかなぁ」
 そうは言ってみたものの、あそこはおてんこさまが言っていた「魂の再構成」の禁呪法ぐらいしかなさそうで、クストースやヤプトたちの手がかりにつながりそうにはなかった。
 そもそも、何故ザナンビドゥはあの情報を知っていたのだろう。おてんこさまぐらいしか知らない伝説を、何故彼が? そして彼が言っていた「主」とは?
 もしかしたら、情報を集めにサン・ミゲルの外に出るかもしれないな。
 ジャンゴはそう思いながらバイクの手入れをしていた。とあるつてで手に入れたこのバイク、ジャンゴは遠くに行くときの足としてフル活用していた。
 暇があればこうしていじって、バイクの使い方や手入れなどを学んでいたりする。チューンナップが出来ればいいのだが、ジャンゴはそこまで手先器用ではない。
 それでも機械油まみれになって手入れを終えると、散らばっていた工具を丁寧に片付けて簡易ガレージから家に戻る。洗面所で油と格闘しながら手を洗っていると、おてんこさまが具現した。
「わっ! こんな時にどうしたんだよ!?」
「こんな時がどんな時なんだか分からんが……、とりあえず来てくれないか?」
「ええっ!? 今?」
 これから油落とすのにシャワーでも浴びたいなと思っていたのだが、おてんこさまの顔は真剣で、どうやらそう言っていられる余裕はなさそうだ。
 仕方ないのでタオルで軽く手を拭いてから、おてんこさまの後を追って家を出た。

 ガレージで作業していたせいで、時間が分からなくなっていた。
 もうすぐ夕日が落ちようとしている中、ジャンゴはおてんこさまの後をついて捌番街に来ていた。ここは持ち主不明の宝物庫と、ドヴァリンが封印されていた地下水路があるだけである。
 もしリタがここにいれば、ドヴァリンの残香と気まぐれにここに来る彼女の残滓を感じ取れたのだろうが、あいにくジャンゴはそれを感じることなく石畳を歩いていた。
 ためらうことなく地下水路に向かうおてんこさまに、内心首をかしげながらジャンゴは後を追う。一応何があるのか分からないので、ソル・デ・バイスを嵌め、グラムは携えてある。
 見つけてこっちに向かってくるアンデッドを軽く切り捨てて進むと、やがて自分と兄がダーインと会ったあの場所にたどり着いた。
 確かここでドヴァリンに捕まったんだよな…と過去を思い返していると、おてんこさまが水の中に潜り込んだ。
「な!? 水の中を行くの?」
 換えの服持ってきてないよ、と慌てるジャンゴだが、おてんこさまは口でジャンゴの近くにある転移魔方陣を指した。前ここに来た時は、確かここには何もなかったはずなのだが。
 不思議がりながらも、ジャンゴは転移魔方陣に入ってフレーズを唱えた。

 転移魔方陣の力で導かれた場所は、ジャンゴが知らない場所だった。……だが、何故か見覚えのある場所だと思う。
 不思議なデ・ジャ・ヴュの正体は、壁に記されている文字だった。変な虫食いにも見えるそれは、遺跡の隠し部屋にあったそれと酷似している。配列などは微妙に違うが。
 また何か分からないかな、と文字らしきものを読もうとすると、おてんこさまにマフラーを引っ張られた。どうも今回は、壁の文字よりももっと注目すべき事があるらしい。
 おてんこさまが指す先。そこには棺桶らしいものがあった。
 らしいもの、と断定できないのは、蓋らしいものがどこにもないのと、サイズが小さすぎるからだ。今目の前にある棺桶もどきはトランクより一回りの上の大きさで、人を入れるには小さすぎる。
「で、これがどうかしたの?」
 一応危険を確かめるために剣で叩きながら、ジャンゴはおてんこさまに聞くが、おてんこさまも首を横に振った。
 何かを封じ込めているものだというのは分かるが、それが一体何なのか――そもそも何故ここにあるのかは分からないようだ。
 おてんこさま曰く、ここは転移についての研究をしていた場所らしく、新しい転移魔方陣もここの技術を使って作ったものだ。おてんこさまはともかく、ジャンゴは水の中にあるここへはこれでしか来れない。
 中には時を越えたり、世界を超えたりするのも研究されていたらしい。恐らく、“禁呪”として罰せられるのを恐れてこんな場所に作ったのだろう。
 そう説明され、ジャンゴは剣でもう一回叩いてから、手で触れて開ける方法を探し始める。蓋は何となく分かるのだが、開けるための取っ手がどこにもない。
 仕方ないので、蓋との境目であろう場所に剣を差し入れて、てこの原理で開けることにした。
「せーの!」
 掛け声一つかけて、一気に上げる。
 硬い封印が強引に解かれ、閉じ込められていた空気が冷たさを伴ってジャンゴたちの周りを取り巻く。ひんやりとした空気に触れ、危うくバランスを崩しそうになった。
 閉じ込められた空気があたりの空気と同一化したのを見計らって、ジャンゴたちは恐る恐る棺桶もどきの中を覗き込む。無論、ジャンゴは剣を構えたままである。
 中に入っていたのは。

「……子供……?」

 胎児のように体を丸めて、一人の男の子が入っていた。
 水色の髪に、白とライトブルー、ペイルグリーンを基調としたフードつきのコートを羽織った少年。年の頃はジャンゴよりも幼そうで、10代になったかどうかだろう。
 手には大事そうに、エメラルドグリーンのハンマーみたいなものを握り締めていた。という事は、戦士なのだろうか。
 一見死んでいるように見えるが、口元に耳を近づけてみると、規則正しい呼吸音が聞こえる。仕組みは分からないが、どうやらあの棺桶は延命装置もあったらしい。
 ジャンゴとおてんこさまが不思議そうに覗き込んでると、空気の流れが変わったせいか男の子が目を覚ました。
「ん、ううん……」
 声変わりもまだな高い声。顔立ちも中性的なので、一見女性かと見間違えてしまうだろう。
 ずっと同じ形で眠っていたせいか、ぎこちなさそうに体を動かしてゆっくり起き上がる。何と彼の目覚めに合わせて手に持っていたハンマーが大きくなり、少年と同じぐらいの大きさになった。
 少年は大きくなったハンマーを膝の上に置いて、大きく伸びをする。大あくびをひとつして、ようやく頭が正常に回転を始めたらしい。
 ジャンゴとおてんこさまの方を向いた。
「……誰?」
「「……」」
 どう説明すればいいのか分からないジャンゴたちは、黙って顔を見合わせた。

 にゃーん

 ビドゥが鳴いた。
「ん? どうしたんですか?」
 品物の整理をしていたリタは、窓の近くで遅い日向ぼっこをしていたビドゥの方を向いた。
 もうじきサン・ミゲルは日が落ち、夜の時間になろうかとしている。リタも、もう少ししてから店じまいをしようかと考えていた頃だった。
 ビドゥは窓の外を見て鳴いている。
 気まぐれに鳴いているのとは少し違った鳴き声。何故かリタには、危険を促す鳴き声に聞こえた。――精霊体を感知できる彼女の能力からなるものか。
 窓に近づき、あたりを確認する。夜が近いので外を出歩く者はいない。また、おとといの豹のような怪しい生物もどこにもいなかった。
 ただの気のせいといえばそこまでだが、どうしても何かが引っかかる。行くとしても、一人で行くべきか迷う。
 もし何かあったら……。その時、ジャンゴが何も知らなかったら……。
 考えることしばし。リタは決断した。
(……いいわ。自分ひとりでもどうにかなるでしょう)
 リタはその自分のカンを信じ、ビドゥを抱えて外に出た。