飛天王カリフスは、声の主の名前を呟いた。
「運命王…」
『我がクストース、全てが不安定な状況である以上失敗は許されぬ。深海王はもうその身を我らのために投げ出したぞ』
棘のある自分の主の言葉に飛天王は深々と頭を下げるが、その姿は許しを請うものではなくむしろ相手の言葉を待っている忠臣のものだった。
「は、解っております。この上は私も、その使命に殉ずるまで」
『ならばよい。飛天王カリフス、そなたも死して我等の力となれ!』
辺りがまばゆい光に包まれたかと思うと、いつの間にかザジたちとカリフスの間に大きな穴が穿たれていた。その穴には、かつて深海王セレンを飲み込んだあの灰色のパイルドライバーが設置されている。
カリフスも、セレンと同じように堂々とした足取りで淵へと向かった。その足取りには、死を恐れるものはなく、むしろこの最後の使命を果たす喜びがある。
最後の一歩というところで、慌ててザジがその手を掴んで止めた。
「あんた、それでええんか!?」
「何故止める。我々クストースは生と死を全て、生贄神に捧げている。我が消滅も、やがては大願を叶えることに繋がるのだ」
「せやかて、あんたに死ね言うてるんやで!?」
「元々我らの命など、最初から人間の手で消し去られているも同然だ」
その一言で二人は顔色を変えた。
幼い頃、人から魔女と呼ばれて蔑まれていたザジ。ジャンゴのためとは言え、人ならざるバケモノに堕ちたリタ。その二人にとってカリフスの一言は痛すぎた。
正義という名の悪意は人を追い詰め、やがては死へと導くほどの深い絶望を与える。カリフス――クストースたちは自分たちよりも長い間、その悪意を受けて生きてきたのだ。
ザジの手が自然と離れる。
「さらばだ。強き少女達よ」
その一言を残し、カリフスは灰色のパイルドライバーの元へと飛び込んでいった。
東に置かれた、鷹の彫像と融合していた椅子がぼろっと崩れる。
同時に、その椅子に据えつけられていた赤い宝珠が姿を消した。
灰色のパイルドライバーが起動した後には、何も残っていなかった。穴自体が自然とふさがり、何もなかったのだと言わんばかりに、世界は静寂を取り戻す。
…きぃぃん……
と、虚空から赤い宝珠が姿を現した。慌ててそれを取ってから、ザジは目を丸くしてしまった。
赤い宝珠は、あの理性の宝珠と同じモノだった。放たれている気配は微妙に違うものの、そこから流れるものや本質は全く同じだ。
「星読みで見た宝珠か…」
「……『知性の宝珠』」
リタがぼそりと呟く。
「理性、本能、知性、感情。それぞれ四人のクストースが一つずつ持っている宝珠です。互いに引き付けあい、『シヴァルバー』を目覚めさせる鍵なんです」
すらすらと自分の知らない事を告げるリタに、ザジは違う者を見ているような目つきになってしまった。
一体リタは、どこまで真実に近づいているのだろう。星読みでは欠片でしかわからなかったことを、リタはどこで知ったというのだろうか。
知性の宝珠とリタを交互に見ていると、そのリタは何を思っていたのか急に顔を上げた。
「ザジさん、ジャンゴさまにお会いしたらこうおっしゃってください。
――『全てが終わったら、久遠の楽園にてお会いしましょう』と」
その一言を残し、リタは去って行ってしまった。
大好きでした。
愛していました。
でも、どうして言えなかったんだろう。
口に出なかった言葉は、最後の口付けとなって現れた。
「もはや、我らに残された手は少ない」
「ですが、同時に我らの筋書きに必要である事柄は、かなり少なくなってきました」
クストースの聖地では、珍しく運命王とヤプトが言い争っていた。原因はカリフスの消滅による完全な人手不足。
ザナンビドゥ、セレン、カリフス。三人のクストースが倒れたというのに未だに四人目は目覚めていない。もう一人の手駒であるミホトは傷が癒えきっていない…。
今攻め込まれたら、こちらの敗北もありうるかもしれないのだ。
自分とヤプトの実力ならそうそう負けることはないだろうが、相手はこっちより数が多い。もしもの事を考えると、もう余裕はないのだ。
シナリオの完成のために必要な事柄は、かなり減ってきている。「乙女」が真実に気づいた今、残されたのは彼に「選択」させる事だ。
だが、イレギュラー的なことが起こり、今の状況で彼に選択させるのはかなり難しい。何か大きな――“過去”に起きていない――何かが起きないと、最後で失敗するかもしれないのだ。
「貴女は、どの方法があるというのです?」
「四人目を覚醒させず、奴をここに呼び出す」
運命王の言葉に、ヤプトは内心で邪悪に笑った。
(覚醒させず? 覚醒させないのが貴女の狙いでしょうが)
既に倒された三人のクストースとは違い、四人目のクストース『精霊王グリーヴァ』はかなり異質な存在である。強固な封印が施されていて、開封するのにも一苦労なのだ。
あちら側では、封印されたまま結局目覚めることはなかった。何とか鍵は見つけたものの、それを実行に移す手間がなかったのである。
だがこちら側では条件が揃いつつあり、後一つのきっかけさえあれば何とか封印を壊すことが出来るかもしれない。そうすれば、こちらの戦力は大幅アップだ。――それを運命王が望めば、の話だが。
あちら側で既に覚醒して連れ込まざるを得なかったあの三人とは違い、グリーヴァはまだ覚醒していない。出来る限りクストースの運命から逃したいというのが彼女の真意だろう。
「呼び出したところで、どうなります? シナリオ通りとは言え、欠けている部分や間違っている部分があるのですよ?」
「あやつと生贄神、その反応は必ずしも我らに良き傾向をもたらすはずだ」
「なるほど。彼と神は、『同じであり同じでない』存在でありますからね」
視線を動かすが、生贄神は見えなかった。おそらく彼女が隠しているのだろう。
あの神は、世界を支える柱であり、文字通りの「生贄」である。彼がああしている限り、世界の安定は保たれているのだ。
だが、その彼の心中を知るのは彼の思念を受け取れる運命王のみ。その運命王がシナリオに反逆すると言う事は……。
(最後まで抵抗しますか……全く持って、ご苦労なことですよ)
誰にも気づかれないように、ヤプトは舌打ちをした。
全ては筋書き通りに事が運んでいるというのに。どうして彼はそこまで抵抗を続けるのだろうか。
(以前、貴方が選んだ道だというのにねぇ)
今でも覚えている。その選択を突きつけられた時の彼の絶望に満ちた顔を。あれだけ希望を語っていた彼が、絶望と共に選択肢を選んだ。
太陽を信じた彼が、世界に裏切られたあの瞬間の顔は何よりも見ごたえのあるものだった。
もう一度、あの選択肢を突きつけさせなければならない。そして、全ては大きな流れの前には無駄なのだということを思い知らせなければならないのだ。
「ミホトシロノ嬢はどうします? 彼女はあくまで彼の足止め役ですか?」
「……足止めは、彼女一人ではなく我輩もする」
運命王の一言に、ヤプトは目を丸くした。
「貴女もですか?」
「ミホト一人では抑えられまい。相手は二人だからな」
そう言って運命王は姿を消す。おそらく別の場所で傷を癒しているはずのミホトに事情を説明しに行ったのだろう。
後に残されたのはヤプト一人だけだ。
ちょっと呪文を唱えて、外の映像を呼び出す。いくつも浮かんだ映像の中から、一つをピックアップして拡大した。
「あともう少しですね…」
映っていたのは、ジャンゴとユキだった。
サバタはふう、とため息をついた。
隣でカーミラが彼のため息の真意をつかめずに首を傾げるが、サバタは何も言わずに黙って歩く。
ジャンゴが黒の力を得てから始まったこの壮大なインチキ話は、もうすぐ終末を迎えようとしている。いくつもの分岐の中、変わっていった事はたくさんあった。
ジャンゴとリタの関係、ケーリュイケオンの入手、カーミラの復活、自分とカーミラとの関係。
それらは全て、正しいことに繋がっているはずだ。だが、全てが終わった後、これらはどうなるのだろうか。
例え全てが終わったとしても、リタはもうもとの人間には戻れないし、ザジもケーリュイケオンを持ってしまった以上、悪しき者たちに狙われることになってしまった。
変わってしまった事をやり直す事はできない。それがいつかまた大きな事件になるのはないかと思うと、どうしても足が止まりがちになる。
(月下美人になり、カーミラが暗黒の力を受け持ってくれたとしても、ダークマターに犯されたこの体の寿命が伸びたわけじゃない)
やがて来る終末に、自分は胸を張って笑っていられるのだろうか。サバタはそれが疑問だった。
――優しいんだね……
「っ!?」
唐突に頭の中に聞こえた聞きなれない声が、サバタの思考を激しく乱した。
――未来を見てくれるんだね。そういうところ、こっちも変わってない。
(誰だ、お前は)
声に出さず、頭の中で問う。一方通行だろうと思っていたが、意外にも相手はきちんと反応して来た。
――今は言えない。でも時が来ればいつか解る。
……それに、大方予想はついてるんだろう?
その思念で、サバタは相手の想像がついてしまった。
「まさか、お前は……。
……なのか?」
つい言葉に出してしまった。
サバタの言葉にカーミラは目を丸くするが、相手はにっこりと笑った。そんな風に思えた。