PARTS・9

 細かな血痕。

 飛び散り具合から見るに、惨劇がここで起きたらしい。その後で誰かが徹底的に掃除したのだろうが、こういう細かい物についたものまでふき取らなかったようだ。
 もっと手がかりが無いかと書斎を調べまわすが、30分ほどかけても何も出てこなかった。
 神殿の書庫のように日記が出てくるかと期待したが、それらしいのは一冊も無い。父に日記をつける習慣が無かったのか、掃除した人物が片付けたのか。
 リタは書斎から手がかりを探すのを諦め、別の部屋に行くことにした。

 今度は廊下から階段まで隅々まで見て回る。過去にこの家に何かあったかを知る手がかりが無いとは限らないからだ。
 玄関やダイニングまで調べまわって、リタはあることに気がついた。
(この家、物がありすぎる)
 こういう住人のいない家は、大掛かりな家具はともかく小物などは全て持っていかれるものである。なのにこの家は調度のいい花瓶や骨董品がそのまま残っていた。
 掃除した人物は家をそのままにしたいと思って置いていったのだろうが、その間に泥棒一人入らなかったのは不自然すぎる。
 泥棒すら、この家に何かを感じて入るのをためらったというのか。
 そんなことを考えていると、この家でまだ調べていない部屋――おそらく母の部屋の前へとたどり着いた。
 ドアを開けようとして、リタはノブに手をかける。

 その手が、硬直した。

 この部屋に入ってはいけない。

 自分の本能がそう叫ぶ。
 冷や汗がどっと出て、危険信号を出す。
 リタは一瞬このままなかったことにして帰ろうかと思った。だが、すぐに首を横に振ってその考えを追い出す。
 このまま帰れば、自分のパーツは永遠に手の届かない場所へと行ってしまう。
 それだけは嫌だ。
「大丈夫。もう何も無いんだから」
 自分に言い聞かせて、ノブをひねってドアを開けた。

 部屋は全ての部屋と同様に、しっかりと掃除されていた。一体何におびえていたんだろう、とリタは安堵の息を漏らす。
 辺りを大きく見回す。血痕は無かったが、代わりにカーペットに変な跡がついていた。大きな円型の跡が4つ。線で結ぶと長方形になる。この跡には見覚えがあった。
 ベッドの脚跡だ。かなり長い間置かれていたのか、それは今もなおはっきりと跡を残していた。ベッドの方を見ても、シーツは埃で汚れていて何かの手がかりになりそうになかった。
 リタはベッドから離れ、別の家具を見る。一番目立つのは本棚が付いた机だ。

 本棚にある本は全てカバーがかかっていた。それが引っかかった。

 父の書斎にあった本はカバーがかかっていなかった。母はよほど本の保存に気を使ったのだろうか。リタはその中の一冊を手に取った。
「……『ルナ・サークル』? 月光仔の本?」
 中表紙に書いてあったタイトルにリタは首をかしげた。自分の両親と月光仔の繋がりがよく分からない。
 現存する月光仔の一族は、前月下美人マーニの実子のジャンゴとサバタのみ。そのうち、月光の力を色濃く引き継いだのがサバタだ。
 まさか自分の両親も月光仔の一族だったのか?
 リタは慎重にページを捲る。本の内容はルナ属性の魔方陣に関する本だった。簡単なものから、準備に一ヶ月はかかりそうな大掛かりなものまで。
 その中でリタの目を引いたのは『吸血変異を抑える魔方陣』だった。月光の力が弱まっている時に行うもので、この魔方陣が起動している間は吸血変異を抑えられるらしい。

『中にいる人間全てに効果がある。それは何の力を持たない人間も含む』

 この文が、リタを引きつけて離さなかった。

 ――中にいる人間全てと言う事は、お産の時にもこの魔方陣が使えるのではないか?

 自分の両親は、リタを出産してからすぐにイモータルに襲われて行方不明になったという。
 だが、実は自分を生む前にイモータルに襲われたのではないか? そしてその時、この魔方陣の力に頼ったのではないか?
 リタは慌てて自分の手を見る。

 健康的な肌色。脈々と血が流れていることの証でもある色。

(……大丈夫。私は人間……)
 父も母も、普通に暮らしてきた普通の人間。

 私達は、吸血変異なんて起きてない普通の人間。

 今までの手がかりから推測される最悪の予想を、首を横に振って否定する。そんなわけが無い。あっていいはずが無い。
 次の魔方陣を見ようとページを捲る。こういうときは別の何かを見て気を紛らわせるに限る。
 ページが捲られる。
 真っ先に飛び込んできたのは、血で書いたであろう文字。

『タスケテ』
『カミサマ、アノコダケハマモッテ』

「嫌ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!!」

 

 翌日。
 ジャンゴは果物屋を覗こうとしたが、ドアに『都合によりしばらく休みます』の張り紙がまだ張られていることに気づき、不安な顔になる。
「具合悪いのかな……」
 だったら静かに休ませたほうがいいかなと思い、ジャンゴはその場を離れた。

 果物屋には誰もいないことを、彼は知らない。

 翌々日は、雨が降り始めた。