PARTS・12

 濡れている自分の服は、乾かすために熱くなっている剣のそばに置く。マントを羽織りなおすと、リタは外にいるジャンゴを呼んだ。
 ジャンゴは濡れた服のまま中に入ってきた。着替えが無かったのか、乾かす必要が無いと思ったのか。視線で尋ねると「僕のはすぐに乾くから」とそっけなく答えた。
 ジャンゴはバッグから万能薬を取り出し、リタに手渡した。長く雨に打たれていたから、これを飲んでおけということだろう。受け取ってすぐにあおるように飲む。
 飲み終わって容器を手渡そうとジャンゴに声をかけたが、返ってきたのは軽い平手打ちだった。唐突なジャンゴの行動に、思わず容器を落としてしまう。
「馬鹿」
 ぼそりとつぶやく。最近のジャンゴの口癖になっているが、本人は気づいているのだろうか?
 ジャンゴはぼそぼそと感情を押し殺した声で続ける。
「僕との約束、破ろうとしたね」
「……約束……」
 そこでリタははっとなった。
 ジャンゴと交わした約束。絶対に無理はしないこと。

 何があっても必ずサン・ミゲルに帰ってくること。

「そんなに自分が怖い? ヴァンパイアになってしまうかもしれないのが怖い? ヴァンパイア化したお母さんに会うのがそんなに怖い?」
 畳み掛けるようなジャンゴの言葉に、リタの顔は恐怖に染まった。知られたことによる恐怖の色に。
「……知ってたんですか……?」
「おてんこさまから聞いた」
 ジャンゴの肌の色が、暖かみのある色から青ざめた色に変わる。
「僕は今、半ヴァンパイアだ。手に入れた暗黒の力だって、いつ制御できなくなるか分からない」
 トランスした黒ジャンゴがリタに語りかける。差し伸べられた手に、リタは触れてみた。
 暖かい。彼が人である証として、それはぬくもりに満ちていた。
 暴走するだなんて、信じられなかった。
「でも、ジャンゴさまは太陽仔として、その力に流されること無く生きているじゃないですか!」
「どうしてそうだってはっきり言えるんだよ!」
 バイザー(バンダナ)が落ち、今まで見たことの無かった黒ジャンゴの素顔があらわになった。
 赤ジャンゴの時のオニキスブラックの目ではなく、イモータル特有のブラッドレッドの目でもない。赤黒く淀んだ目があった。人でもなく、ヴァンパイアでもない目だった。
「いつもみんなそう言うんだ。僕なら大丈夫、僕なら乗り越えられる、僕なら平気だって! そんなわけ無いだろ! 自分のことは自分が一番良く知ってるんだから!
 いつ暴走するか分からない、いつ飲み込まれるか分からない、そんな力を抱えて、本当に僕が大丈夫だって思ってるのかよ!!」
 それはリタが初めて見る、生の感情をむき出しにした太陽少年だった。大きな恐怖とやり場の無い怒りに身体を震わせているジャンゴの姿だった。
 多大で重過ぎる期待を背負わされ、ずっと押し込めていた感情をむき出しにするジャンゴを、リタは愛おしいと思った。
 弱い彼を、誰よりも深く愛せるような気がした。
(どこに惹かれた、とかじゃない)
 答える代わりに、リタはジャンゴを強く抱きしめた。
(ジャンゴさまだから惹かれたのね)
 お互いの顔が近づく。赤黒い眼が、とてもきれいに見えた。
「私は、そんなジャンゴさまも……いえジャンゴさまの全てが……」

(好き)

 3回目の口付けなのに、二人には何となく初めてのように感じた。

 眠りに付く瞬間、リタはジャンゴの口が動いているのを見た。
「…僕も………きに……んだよね……」
 何かを言っているのは分かったが、それが何なのかリタには分からなかった。

 翌朝。
 リタが目を覚ますと、隣で眠っていたはずのジャンゴの姿がなかった。
「ジャンゴさま!?」
 慌てて飛び起きると、リタの声が聞こえたのかタイミングよくドアが開いた。ジャンゴがちょっと驚いた顔になっている。
「…どうしたの?」
「え!? あ、いえ!」
 ちょっと顔が赤くなる。と、リタはジャンゴのトレードマークである真紅のマフラーがアンバランスな長さになっているのに気がついた。
「あ、これね。ちょっと引っ掛けてこんなになっちゃった」
 ジャンゴもそれに気がついていたらしい。長い方のマフラーの端を剣で切った。
「!」
 リタの眼が丸くなった。ジャンゴのマフラーが父親の形見だということは誰もが知っている。そのマフラーを切るなんて……。
 ジャンゴのほうは別に表情を変えることもなく、切ったマフラーをリタに差し出した。
「これ、ハンカチかなんかに使って」
「え!? そんな!」
 まさかそう言われるとは考えてなかった。マフラーを切るだけでも驚きなのに、まさか自分に手渡されるだなんて夢にも思わないだろう。
 リタの困惑を知らないジャンゴは切ったマフラーを、リタの手首に巻きつけた。どうやら受け取り拒否は出来ないらしい。
 あまりの強引っぷりに苦笑していると、急に昔のことを思い出した。

 祖母の葬式の時、リタは大人たちから逃げ、太陽樹の根元で泣いていた。
 誰もいないから大声を上げて泣いていると、突然声をかけられた。
「大丈夫?」
 驚いて振り向くと、頭にバンダナを巻いた少年が立っていた。年のころはリタと同じくらいだろうか。
 少年は涙目のリタを見ると、ポケットからハンカチを出してリタの目の周りを拭いた。
「あ、あの…」
「泣かないで、ほら」
 少年はごしごしと拭く。
 見知らぬ少年にここまで心配かけさせているのが悪くて、リタの眼から涙が引っ込んだ。少年はそれを見るとハンカチをリタに渡した。
「それ、あげる。また泣いたらそれで拭きなよ」
「そんな、悪いわ。洗って返す」
「いいから」
 意外と強引な性格らしい。リタの手にハンカチを握らせると、「おとうさんが呼んでるから、じゃあ」と手を振って去っていった。
「……ありがと。じゃあね……」
 リタは去っていった少年に向かって手を振った。

(似てる……)
 あの時ハンカチをくれた状況と今の状況。
 あの時ハンカチをくれた少年と今のジャンゴ。
(まさかね)
 突飛な考えにリタは苦笑した。そんな事あるわけが無い。血錆の館で二人は初めて出会った、それは間違いない。
「さあ、もうサン・ミゲルに帰りましょう。長いことお店を閉めてましたね」
「え? ああ、うん。そうだね」
 いきなり話を振られて、今度はジャンゴが困惑した。切り替えが早いなぁと内心思っているに違いない。だが、切り替えが早くなければやってられなかっただろう。
 特に今は。

 血錆の館を出てサン・ミゲルへの道を歩く途中、リタはあることを思い出した。
「あの、ジャンゴさま。ヴァンパイアが出たとか言う話は……?」
「えっ!? あっ、ああ、肝心なところで逃げられちゃった」
 僕もまだ未熟だよなぁ、と顔を赤くして舌を出すその顔で、リタはすぐに全てを悟った。

 母は、もうこの世にはいない。

 不思議と悲しみは無かった。顔をあまり知らないからではない。
 今なら祖母の言った言葉が分かるから。
 父と母は、太陽樹となった。そしてその太陽樹は、今花を咲かせ、この地を浄化している。それだけのことだ。
 だからリタはジャンゴの嘘に乗った。真相を深く知らなくてもいい。自分がそう思っている、それで充分だ。

 欠けたパーツは埋まらなかった。だが、今はどうでもいい。

 これから二人で作っていけばいいのだから。

「ジャンゴさま、大好き♪」
「まあ僕も好きだよ……って、今、何か言わなかった?!」
「ジャンゴさまが今言ったことをもう一度言ってくだされば、お答えしますよ~」
「そんな! 恥ずかしすぎるっ!」

 まるで一つのもののように、二人の影は仲良く重なり合ってサン・ミゲルを目指していた。