寂しい気持ち・10日目 - 1/2

 ジャンゴが気を失った理由は、疲労と貧血だった。傷は浅くはなかったが深いものでもなかったので、そのまま自宅療養になった。

「馬鹿な奴だ。ここまで無茶をするとはな」
 貧血と疲労で倒れたジャンゴをベッドに寝かせながら、サバタがぼやいた。
 最近のことを考えれば、ここまで無茶をする理由は分かる。だからこそ、馬鹿だと思った。
(女泣かせだ、天然の)
 隣で心配そうな顔のままの少女を見やりながら、サバタはため息をついた。

 肩を叩かれて、ようやくリタは現実に戻った。
「後は頼む」
 短い言葉を残し、サバタは部屋を出て行く。二人きりにしてくれたことを感謝しながら、リタはジャンゴの顔をなでた。
(この前とは正反対)
 前に見舞いに来た時は、風邪と熱のせいで顔が赤かった。それが今は貧血と疲労のせいで心なしか青い。
 何より大きく違うのは、今のジャンゴは本当に寝ているということだ。

「私、何してたんでしょうね」

 眠るジャンゴの顔を見つめていると、少しずつ自分の心が素直になっていく。あの雨の日から凍りついた心が、溶けて涙となった。
「変な意地を張って、駄々こねて、貴方に八つ当たりまでして」
 ぽたぽたと涙が落ちる。今まで言えなかった「ごめんなさい」が、目からあふれ出て止まらない。
「何よりも一番最初に、貴方の気持ちを分かってあげるべきだったのに」
 寂しいのは彼も同じだった。頑なに張られた殻の中で、彼はずっと一人で泣いていた。
 それなのに自分は彼に何をしてあげられただろう。ただ我侭ばかりを言って、彼の心を傷つけてばかりいた。
「……最低ですね、私は……」
 自分の気持ちばかりを押し付けようとしていた。好きだという気持ちは与えるものであって、押し付けるものではない。それに気づかなかった。

「ごめんなさい……、本当にごめんなさい……」

 リタはただひたすら泣いた。懺悔の言葉と一緒に、ひたすら泣き続けた。

 今までの疲れがどっと出たのか、ジャンゴは丸二日起きなかった。

 果物屋。
 ザジがリタの様子を見にやってくると、なんとカウンターにはサバタがいた。
「……何やってるんや」
「見て分からないか。店番だ」
「何であんたが店番やってんねん!」
「仕方ないだろ。店主が俺たちの家に泊まりっきりなんだ。俺がこっちに移動するしかあるまい」
 あんな中で堂々と生活できるか、とサバタは呆れたように答えた。
「……宿屋に来ればええのに」
 何の気なしに言ったザジの一言に、サバタがにやりと笑った。
「ほーう、俺相手に一日も持ちそうにないのにか?」
「なっ!?」
 そんなオトナな返し方はありか!?とザジは顔を真っ赤にした。
 表情がめまぐるしく変わるザジを見て、サバタはくすくすと笑う。
「本当に見ていて飽きない女だな。お前は」
 ……その一言でザジの表情が嬉しそうな照れ笑いになった事は、サバタだけの秘密である。

 目が覚めると、見覚えのある天井が飛び込んできた。
(えっと、確かグールと戦って、サン・ミゲルまで走って、それから)
 ボーっとした頭が、どんどん冴えてくる。それに併せて、ジャンゴの顔が悲しみに埋め尽くされていった。
「……謝るどころの問題じゃないよな……」
 目が潤んでいく。答えの欠片が全部揃い、ようやく分かったのだ。自分がどれだけ彼女を傷つけていたのか。

 ふと気がつくと、隣でリタが突っ伏していた。

 丸二日も看病し続けて疲れたらしく、すっかり熟睡している。その安らかな寝顔を見て、とうとうジャンゴの目から涙がこぼれた。
「……僕のために……、僕なんかのために……」
 声を押し殺して泣いていると、リタがぽつりと何かをつぶやいた。
「ごめんなさい……」
「!」
 一体どんな夢を見ているのか、リタもぽろぽろと泣いていた。
「……泣かないで、ジャンゴさま……」
(無理だよ…)
 リタの寝言を、ジャンゴは心の中で否定した。
 元々、壁なんてなかったのだ。あったのは虚勢という名の大きな殻。
 大切なものをなくし続けた彼は、いつしか大きな殻で人を遠ざけていた。太陽少年としての使命が、人々の重い期待が、逆にジャンゴの心を閉じ込めていた。

 心を閉ざしたままの言葉では、彼女の心には届かなかった。
 心を閉ざしたままの思いでは、彼の心は寂しいままだった。

『彼女』は心を閉ざしたジャンゴを見抜いていた。自分も同じく大切なものを失って、心を閉ざしていたから。
 グールの襲撃は、ジャンゴに自分の殻を気づかせた。殻を破壊しなければ、自分は一生このままなのだと。
 そしてあのキスは殻を打ち砕く最後の手段だった。リタに受け容れられて、初めて自分は心を開くことが出来るのだと。
 だが、それは間違いだった。
 自分は最後の最後でリタにすがってしまったのだ。自分で打ち砕くべき殻を、彼女に手伝ってもらってしまった。目が覚めた時、ジャンゴはそれに気がついた。

 それでも、彼女は。自分のことを。

 また涙が溢れてくる。その涙は悲しみのものではない。微妙に違うかもしれないが、喜びのもの。
(……ようやく殻が壊せたよ……)
 ジャンゴはやっと、自分自身の手で殻を壊した。もう、寂しい気持ちなんてない。
「ありがとう……。本当にありがとう……!」

 ――いつしか彼女は夢を見る。

 くすんくすんと背中を丸めて泣いている幼い少年。リタはそれを見るのが辛くなって、少年の肩に手を置く。

 ――泣かないで。

 肩に手を置かれて、少年はようやくリタの存在に気づいたらしい。涙でぼろぼろになった顔をリタのほうに向けた。

 ――泣かないで。

 リタはもう一度少年に向かって言う。

 ――私が悪いの。一番悪いのは私。
   貴方の気持ちに気づかなかった私が一番悪いの。

 少年は首を横に振る。その顔は自分の方が一番悪い、とリタに訴えかけていた。リタはそんな少年を強く抱きしめた。

 ――ごめんなさい。本当にごめんなさい……。

 ぎゅ…と抱きつかれる感覚。少年はリタに抱きつきながら、ひたすら泣いていた。ごめんなさいとつぶやきながら。

 貴方は言わなくていいの。本当に言うべきなのは私。
 謝らなければいけないのは私。
 私は何も分かっていなかった。

 貴方の気持ちを何一つ分かろうとしなかった。

『だから、泣かないで。ジャンゴさま』

 

 

 ――ありがとう

 ――僕はもう、大丈夫だから

 

 リタは目が覚めるとき、ジャンゴの声を聞いたような気がした。