缶コーヒー考察

 夏真っ盛り。
 暑いを超えて熱い空気の中、ミソラは自動販売機の前に見覚えのある後ろ姿を見つけた。
「ソロ?」
 ミソラの声に、自動販売機の前で立ち尽くしていたモノクロな人影がこっちを向く。さすがに暑いのか、いつもの鋭さを感じなかった。
 ……いや、暑さ以外に困惑が彼の顔にあった。
「どうしたの?」
「……」
 声をかけるが、いまいち反応が薄い。気づいていないのではなく、何か考え中なようだ。
 邪魔しちゃいけないかな、と一歩離れようと思った時。
「……コーヒーは飲めるか?」
「は?」
 唐突な問いに、思わず素っ頓狂な声を出してしまう。
「飲めるか?」
 再度の質問(やや怒気が混じっていた)に、やっとミソラは頷いて答えた。大好物と言うほどではないが、全く飲めないわけではない。
 ミソラの返事でソロの意思が決まったらしい。「じゃあ、やる」とミソラに一本の缶を押し付けた。
「え? どういう事??」
「いらないなら捨てろ。オレはいらん」
「???」
 ミソラの頭に大量に浮かんだ疑問に何一つ答えず、ソロはその場を去って行った。
 後に残るのは疑問符だらけのミソラと、ソロから押し付けられた冷たい缶だけ。
「何なの、もう」
 わけが解らないまま缶を見てみると、それはよく見るラベルの缶コーヒーだった。冷たいそれは、もう既に水滴がびっしりついている。
『ミソラ、あれ』
 デバイスの中のハープが、自動販売機の方を指す。釣られてそっちの方を見てみると、でかでかと「当たりが出ればもう一本!」と誘い文句が書かれていた。
 なるほど。
 どうやらソロはここで缶コーヒーを買い、幸か不幸か当たりを引いてしまったようだ。放置するわけにもいかず一応もう一本選んだのはいいが、持て余していたのだろう。
 二本飲むほど喉が渇いてないが、捨てるのはもったいない。困っていたところにミソラが来たので、ちょうどいいと押し付けたというのが流れか。
 流れは解った。解ったが……。

「今日私の誕生日だって、知ってて渡したのかな」

 そう。今日は8月2日。
 ミソラの誕生日だった。

 朝からバラエティやニュース番組で「ミソラちゃん誕生日!」と大きく宣伝されているので、ミソラは色んな人からお祝いの言葉やプレゼントをもらっていた。
 ニホン中から祝われる中、たった一人だけ祝いの言葉を言ってこなかった彼。そんな彼からもらったのは、おまけの缶コーヒー。
 何か悲しい。
 高価なプレゼントを贈れなんて言うつもりはないが、それでも祝いの言葉もなくプレゼントも適当なのは悲しい。
(私の事なんて、どうでもいいんだろうな)
 落ち込んだ気持ちのまま、ついもらった缶コーヒーの蓋を開ける。暑さもあって一気飲みしようと思いっきり傾けると。
「にっっがー-い!!」
 えぐい苦みが舌を襲う。砂糖やミルクの甘さがない、強烈な苦みだ。
 慌てて缶コーヒーを口から離し、思いっきりむせる。落としたり服にかけなかったのはまさに奇跡だ。
「何これ、滅茶苦茶苦い! これこんなに苦かったっけ!?」
『あらこれ、微糖って書いてあるわね』
「無理無理無理無理! 飲めるわけないって!」
 ハープの指摘を受けてよく見てみると、確かにはっきりと「微糖」と書いてあった。つまり、ミルクも砂糖もかなり少ない。
 普段ミソラが飲むのは砂糖とミルクたっぷりのカフェオレか、背伸びして普通のコーヒーだ。ここまで苦いのは一度も飲んだことはない。
 捨てても良かったのだが、一応はプレゼント。一気飲みは諦めて、少しずつ飲むことにした。
 ちょっと傾けると、芳醇な香りが鼻腔をくすぐった。
 いつも飲んでいるカフェオレのそれとはまったく違う、大人な香り。
「ソロっていつも、こういうの飲んでるのかな」
 何となくそんな疑問が頭に浮かぶ。
 思えば彼の事は「ムーの最後の末裔」「単身電波変換ができる」「特殊能力を持つゆえに人々から迫害された」ことぐらいしか知らない。
 飲み物の好みどころか、プライベートなデータは何一つ知らなかった。
『おまけの一本を適当に選んだとは思えないし、たぶんそうでしょうね』
 そう考えると、このプレゼントから謎に包まれた彼の日常の欠片が垣間見えた気がする。
「プレゼントは彼の秘密の一つ、か」
 我ながらお気楽なもので、さっきまで落ち込んでいた気持ちがあっという間に払しょくされた。
 誰も知らない彼の日常。自分だけが知っている彼の秘密。
 ほんのちょっぴりだけ、胸がどきどきした。

 モニターから流れる「8月2日は響ミソラちゃんの誕生日!」のニュースに、ソロはふと足を止めた。
(そう言えば、今日だったか)
 先ほどコーヒーを押し付けた相手。自動販売機で当たりが出たから困って押し付けたのだが、まさかあれをプレゼントだと勘違いしただろうか。
(まあ、いいか)
 今更引き返して取り返すのも言い訳するのもみっともない。舌に合わないならさっさと捨てるだろうし、それほど気にするほどのような物でもない。

 ……でも、もし気にしていたら?
 こんなのがプレゼントなんて、と落ち込んでいたら?

 ふと頭に浮かんだ疑問を、首を振って否定する。
 自分と彼女はそこまで仲良くない。プレゼントをもらえるなんて、夢にも思ってないだろう。
(あの女にとって、オレは悪い奴のままだろうしな)
 缶コーヒーに口を付ける。
 いつも飲んでいるそれは、いつもよりちょっぴり苦い気がした。
(……もしまた会ったら、奴に合わせた味でも飲んでみるか)
 今回の「詫び」も兼ねて。

 何となくだが、それはそう遠くない気がした。