ビルの窓ガラスに、『それ』は確かに映っていた。
「あ……!」
ミソラは引き寄せられるように一歩踏み出すが、その腕をがっと掴まれた。
振り向くと、そこにはスーツ姿のサラリーマンがいた。引き寄せられた瞬間、ミソラの前を車が通り過ぎる。
どうやら、信号が赤なのを無視して横断歩道を通ろうとしていたらしい。見逃していたとはいえ、うっかりにもほどがある。
「何やってるんだ! 死にたいの」
か、で締めようとしたサラリーマンの口が、ミソラの顔を見て固まった。リアルシェードウェーブは使っていないため、一発で自分が誰なのか認識できたようだ。
「みみみミソラちゃん!?」
「は、はい、そうです。止めてくれてありがとうございます」
「い、いえ! さ、サイン……はさすがに無理か。応援してます! 頑張ってください!」
「はい、頑張ります♪ そっちもお仕事頑張ってくださいね」
テンパる一般人の反応にも慣れた。営業用とは言えとびっきりの笑顔で返すと、サラリーマンは顔を赤くしてこくこく頷いた。
ざわざわし始めた周りをよそに、ミソラは横断歩道を離れて別の道を歩き出す。
窓ガラスには、もう何も映っていなかった。
「や……あぁんっ、も、もっとぉ……」
「奥か?」
「ぅ、ん……ッ!」
最初の頃に比べると、随分と淫乱になったと思う。自分のファンや友達が見たら目を疑うだろうな、とも。
ソロとこういう関係になって、もう半年は過ぎた。
一線を越えてすぐは内心他の人にバレないだろうかと冷や冷やしたものだが、今では翌日涼しい顔して仕事ができるぐらいには開き直った。
……と言うより、別の事が気になり始めていたのだ。
『それ』がいつから出てきたのかは解らない。もしかしたら、初めてセックスした時からいたのかも知れない。
最初に認識したのは、彼に首を絞められかけた時。
多分ソロがどこか自分に遠慮しているのは、スバルの事があるから。彼はまだ、自分はスバルを愛していると思っている。
吹っ切って欲しいと思ったのだが、あいにく自分が言葉選びを間違えたせいで、逆に彼を怒らせてしまった。
その時に、見えたのだ。
あどけない笑顔を浮かべる、小さな男の子の影が。
突き放すような眼差しから逃げるように、唇を奪って情事を続けた。
蕩ける快楽に溺れかけても、その眼差しが自分の本音を問いかけてくる。そうすると、あっという間に心が浮き上がってくる。
そして、ただただ恋しくなるのだ。
「……はぁん! あぅ……あっ、あぁっ! ふぁぁっ!」
敏感な場所を刺激されて、腰が淫靡な動きをしてしまう。今自分の秘部をいじっているのは、指ではなく舌だ。
じゅるじゅると音を立てて淫蜜を吸われて、目の前が一瞬白くなった。
荒い息を落ち着かせつつ、ふと、天井を見る。
(鏡張り……)
今まで気づかなかったが、自分たちがいる部屋は天井が鏡張りだった。明かりは控えているものの、セックス中の自分たちの姿ははっきりと見えた。
そして、そんな端っこにいる『男の子』に笑いかけられた。
「あ……」
胸が締め付けられる。
今なら解る。何故自分は彼を受け入れたのかを。
(私だって、何も手に入れてなかったんだよ)
自分に音楽を教えてくれた母。
自分へ手を差し伸べてくれた少年。
自分をあらゆる意味で負かした戦士。
全部自分の手をすり抜けて、手が届かないところでほほ笑む。
そばにいるよ、と笑いながらも、自分の手では決して触れられない場所に立ち続けるのだ。
「……やめるか?」
どうも泣いていたらしく、ソロが少し怪訝そうな顔で聞いてくる。
ミソラは黙って首を横に振った。火照った体は男の肉竿を求めていたし、相手ももうゴムを付けて準備万全だった。
ぢゅ、と秘部に肉竿がつけられた時、ミソラはソロの顔に手を添えた。
「お願い。名前、呼んで」
「何?」
「私の名前を呼んで。今だけでいいの」
私を愛して。
私も貴方だけ愛するから。
ソロの方は少しためらうような顔を見せたが、やがて口を開いた。
「……ミソラ」
心の底から暖かな何かが湧き出た。それは、たぶん幸せという感情。
一瞬だけでも、彼と心が通じた。手をつなぐことができた。そんな幸せが、心の中に満ちていく。
そして盛大に突き上げられた。
「ああぁぁあっ!!」
子宮まで届きかねない一発に、大きく体がのけぞる。目も閉じてしまったから、鏡の端に移っていた『男の子』は視界から消える。
先端が見えるまで引き抜かれ、また奥まで入れられる。膣壁を大きく刺激する動きに対し、ミソラもソロのものをきゅうきゅうと締め付けた。
「お、おい、ミソラ、少し……緩めろ」
「む、無理……ィ! あんっ、そ、ソロのが、き、気持ちッ、良すぎてェ! ひぁぁっ!」
また名前を呼ばれた嬉しさもあって、更に締め付けてしまう。思わず「好き」と言いそうになるが、きっとソロはそれを喜ばない。
代わりにその唇を奪い、激しく舌をつつき合った。
名前を呼ばれなくなるが、深く繋がり合うのも嬉しくてたまらない。……それがたとえ体だけでも。
「んっ、んんーっ! んふぅ……ッ!」
口をふさがれている間もソロの腰の動きは止まっていない。そのため、喘ぎ声はくぐもった声になった。息苦しくなるが、その息苦しさも心地よく感じてしまう。
相手も苦しくなったようで、腰の動きを止めて口を離す。とろりとした唾がぽたりと垂れ、自分の胸元に落ちた。
「ミソラ、行くぞ……!」
ソロの宣言と同時に、とどめと言わんばかりに、最奥まで突き上げられた。
子宮まで熱が届いた瞬間、ミソラは完全に達する。世界が白く染まり、心も感覚も大きく流された。
「あぁぁあああー-ッッ!!」
次に目を開けて鏡を見たら、もう『男の子』はいなかった。
達して力も抜けているが、ミソラはまだソロに抱き着いたままだ。
「離せ……」
「いや」
肉竿は自分の膣内から抜かれたが、彼自身を自分の腕の中から抜きたくなかった。
体を離したら、もう二度と繋がり合うことはできない。もう、こんな幸せと喜びに満ちた時間は来ない。
「このままでいさせて。離したくない」
「……」
力強く言うと、ソロは諦めたか黙って自分ごと体を横にした。
夜が明けるまで、このままでいられるだろうか。
(このままでいたいよ)
自分の涙に気づかれないよう、強く抱きしめる。
(貴方、もう長くないんだもの)
――正直、長生きはできないだろうな。
いつだったか、暁シドウがソロを指してそう言っていた。
――電波変換ってのは体に相当な負担がかかる。普通なら電波体であるFM星人がその負担を請け負うんだが、あいつは単独だからな。
それとなくやめろと忠告したけど無駄だった、と彼はため息をついた。
ムーの電波技術とその血脈は孤高の戦士に力を齎したが、その分彼から暖かな幸せと寿命を奪った。
――何とかしてやりたいよ。
その気持ちは、ミソラも同じだった。
あの時ミソラは何となく「寂しすぎる人生だな…」とぼんやり思っていたが、今は違う。
彼を救いたかった。満たしてあげたかった。なのに、彼の心と運命は、女一人の願いすら許してくれない。
きっと彼は、最期まで差し伸べられた手を撥ね退けるだろう。そして自分の気持ちを塞いだまま、己の死を受け入れるのだろう。
こっちはただ、幸せであるようにと願っているだけなのに。
「私だって、欲しい物全部手に入るわけじゃない」
母親も、スバルも手の中からすり抜けて行った。そしてソロも、いつかはすり抜けて逝く。
手元に残るのは幸せだった思い出だけ。
涙でぼやけた視界の端、窓ガラスに『男の子』が見える。
再度微笑まれて、ミソラは逃げるように目を閉じた。
そのまま眠気が襲ってきたので、おとなしくその眠気に従う。
……眠りに落ちる一瞬、腕の中にいるソロが抱きしめ返してくれるのを感じた。