二十三時五十分

「……ちぇっ」
 二月十四日。
 カレンダーに印をつけながら、ジャンゴはぽつりと舌打ちした。
 現在、二十三時四十分。あと二十分もすれば明日――二月十五日になる。
 自分は、今日何をやっていたんだろうとふと思う。二十三時間四十分と言う間、どうやって生きてきたのだろうか。
(八時に起きて、顔を洗って、ご飯を食べて)
 朝が苦手な兄を起こすのに、十分はかかった。「朝飯はいい…」と言ってまた布団にもぐりこみそうになるサバタを起こすのは、まさに格闘モノ。
 そんな兄を起こしてご飯を食べさせると、当然歯磨き。三分以上は磨いていた。
(仕事はなかったから、午前中は散歩して)
 なかった、というより、ほぼ無理やり空けた。それは今日が他でもない二月十四日だから。
 今日は晴れだった。最近天気が崩れがちの中、雲こそ多かったが太陽はきっちりと顔を出していてくれた。
 サン・ミゲルの外に出るつもりはなかったので、マフラーとバンダナ以外はシンプルな格好で。だぼだぼのハーフパンツは履かなかった。寒いから。
(公園でスミスさんと会って、剣を見てもらって)
 散歩している途中、公園でスミスとスミレに会った。ちょうど切りづらくなっていた剣が一振りあったので、家に戻ってそれを持っていった。
 ガンマスターであり鍛冶屋のスミスは、すぐに剣が欠けている場所を見つけ、「直して後日持って行く」と約束してくれた。
 それからしばらくは他愛もない話をして、時間を潰した。
(スミレちゃんと少し遊んで、チョコレートを貰って)
 スミスと話していたら、スミレが遊んでとねだってきた。断る理由もなかったので、一時間ぐらいは一緒に遊んだはず。
 昼ごろ近くに公園を出た。それから家に帰る途中、鍛冶屋に寄ってスミレからのチョコレートを貰った。
 少ない小遣いで一番高価なのを買ったのだろう、大きなハート型のチョコレートが一個。目の前で少し食べて見せた。
 スミレからのチョコは、昼ご飯と一緒に食べてしまった。ご飯が何となく足りない気がして、チョコも食べてしまったのだ。
(家に帰って兄さんと昼ご飯。で、兄さんは午後になったら出かけていって)
 どこに出かけていったのかは知らない。知ったところで着いていくつもりはなかったし、いつ帰ってくるかが解るだけで充分だ。
(明日は依頼か何かを片付けるつもりだったから、レディさんのところに顔を出して)
 昼ご飯を食べて少し休んでから、また外に出た。色々と行きたい所があったからだ。
 その一番最初の目的地が図書館。いくつもの依頼の中から、自分がクリアできそうな依頼を探すためだ。
(レディさんからもチョコレート貰って)
「とりあえず、ってことで♪」と言って渡されたチョコは、ちょっと苦めのビターチョコが六個。これもすぐに食べてしまった。
 レディには「食べ盛りなのはいいけど、実はチョコを見越してお腹空かせてた?」とちょっと疑われた。
 正直、食べ盛りなのだから、すぐにお腹が減って仕方がない。別にバレンタインだから、腹を空かせて待っていたわけではないのだ。
(図書館を出てすぐにザジに会って)
 ガレージに向かう途中、ザジに会った。「ちょうど良かった」と言いながら、ザジもチョコレートをくれた。
 彼女のはトリュフチョコ。一口食べたら、「一個30ソルな!」と金を請求された。
 がめついーとか言い合いながらも、二人で食べた。本当は自分のために買ってきたのだろうが、美味しそうなトリュフを見て食べたくなったのだろう。
(ガレージに着いてからは、ひたすらバイクをいじって)
 遠出の事も考えて、ガソリンは満タンに。それからどこか不都合がないようにと、コーチと一緒にあちこちチェックした。
 それから、慣らしとしてサン・ミゲル周りを何周か走った。バイクは絶好調で、明日からの仕事に使えると思った。
 家に帰ったのは、十六時を過ぎていただろうか。
(それからは、家でのんびりと本を読んでた)
 本を読んだり家事をしたりと、いつものように過ごしていた。
 でも、そんな日常の中で窓の外を見たりするのは否めなかった。なぜなら、その日常の中でまだ会ってない子がいるから。
(ああ、そういえば家で悪いところがあったから、シャイアンさんに見てもらったっけ)
 雨漏りしそうな場所があったので、シャイアンに見てもらってふさぐ方法を教えてもらった。
 だがやり方が少し難解だったので、おそらく次も彼に見てもらうことになるだろう。
 そんなこんなで、二十三時間四十分を過ごしてきた。
 明日は、後二十分足らずでやってくる。
(何待ってるんだろうな、僕は)
 流れていく時の中で、ジャンゴはカレンダーをもう一回見た。
 印は、四日前からついている。――喧嘩したあの日から。

 四日前。ジャンゴとリタは、些細な事から喧嘩になった。
 何が原因なのかはもう忘れた。ただ、ちょっとした事から喧嘩になり、謝るチャンスも出来ずに、リタは旅に出た。
 ザジが言うに、買い付けの品物のルートに少しトラブルがあったので、直接販売人に会って買いに行くことになったらしい。
 そんな遠い場所にはいないので、二日ぐらいすれば帰ってくる。ザジはそう言っていた。
 なのに。
 四日経っても音沙汰がない。寄り道するにしても、遅すぎる。
 ザジも心配していた。星読みでは無事だとでていたらしいが、帰ってこないのではそれが確かなのか確認できない。
 それに、星読みは未来などを完全に決め付けるものではない。あくまでもアドバイスなどの一種として飲み込んでくれ、とザジも言っていた。
 もしリタの身に、本当に何かあったとしたら。
 二度と会えないような状況になっていたとしたら。
「……あんなこと言わなきゃ良かった……」
 テーブルに突っ伏して、ジャンゴはぼそりとつぶやく。
 喧嘩の時、「リタなんていてもいなくても変わりゃしない!」なんて言ってしまったが、本当にそうなってしまったら。
 自分の粗末な悪口で、彼女が本当に手の届かない場所へといなくなってしまったら。
 それは自分のせいではないのか? そして、自分はそんな生活に耐えられるのか?

 かちり。
 時計の針が、二十三時間五十分を指した。
 その時。
「……めんください…」
 かすかに、外から誰かの声が聞こえた気がした。
 うとうとしていた頭を何とか覚まして、ジャンゴは玄関に急ぐ。とんとんとノックされているのを見て、外に誰かいるのを確信した。
 ドアを開けると。
「ごめんください…」
 リタが寒そうな顔で、大切に包みを抱えて立っていた。
「…どうして」
 色々な感情が入り混じり、ジャンゴの口から出たのはその言葉だった。どうして今の時間に。どうして僕に。どうしてそんな包みを。
 リタはそんなジャンゴの動揺に気づかずに、顔を真っ赤にしてうつむいた。
「あの、買い付け先でまたトラブルが起きてしまって、私も一緒に探すことになっちゃったんです。だから、こんなに長くなっちゃって、それで」
 包みが、ジャンゴの手に渡された。
「作る余裕もなかったし、ようやく仕事が終わった時には、お店もほとんどしまっちゃってて、それでもお菓子屋さん起こして一つだけ売ってもらったんです…」
 包みの中にあったのは、チョコのセットだった。アーモンドやホワイトチョコ、ミルクチョコなどが揃った六個入りのセット。
 バレンタイン戦線が終われば、ほとんどただ当然の値段で売られるそんなチョコ。
 だが、ジャンゴの胸の中にあったのはチョコのことではなく。
「何だよ、本当にもう!」
 自分でもどういう意味なのか解らない言葉を言いながら、ジャンゴは冷えたリタの体を抱きしめた。
(バカだ。本当にバカだ)
 チョコをくれれば仲直りできると思い込んでて、こんな安っぽいチョコを買ってきて。
 バレンタインが終わるぎりぎりになって、ようやく帰ってきて。
 ごめんなさいの一言も言わないで。

 ……それでも帰ってきてくれたことが嬉しくて、何もかも許したくなる自分が、本当にバカだった。

 二十三時五十分、ようやくジャンゴに本当のバレンタインが来た。