その日は、途中まで平和だった。
いつものように道具屋に寄って少しおしゃべりして、いつものように宿屋にも寄って少しおしゃべりして、剣や銃の腕を上げるために修行して。
何一つ異常などない日常の中で、ジャンゴはのんびりと平和を満喫していた。
……いたのだが。
「……のわっ!」
おてんこさまの消失で、その平和が大きく断ち切られた。
その日は、途中まで殺伐としていた。
いつものようにダンジョンから抜け出たアンデッドを退治し、いつものようにちょっかいをかけてくるイモータルを追い払って、いつものように見知らぬ道を走って。
何一つ平穏など無い日常の中で、一人の太陽娘はせかせかと戦いを駆け巡っていた。
……いたのだが。
「のわっ!」
太陽の精霊との邂逅で、その戦いが大きく変わった。
「うむむむむ……、ここは一体どこだ!?」
「あー、太陽の精霊だー!!」
おてんこさまの思考は、甲高い少女の声で遮られた。
「だ、誰だお前は!」
慌てて声がした方を向くと、声とは全く違った少年……いや、少女がいた。
オレンジ色の長い髪を尻尾のように結び、青と黒のジャケット。ミニスカートがハーフパンツ辺りだったら、まず男だと誤解できただろう。
だが、おてんこさまの目を引いたのは、そういうところではない。
足元まで届く、長い真紅のマフラー。
「お前、一体これをどこで!?」
人間だったら首根っこを掴むほどの勢いで、おてんこさまは少女に詰め寄る。森の色を連想させる翠の目をまたたかせて、少女はマフラーをつまんだ。
どこからどう見ても、リンゴやジャンゴがまとっていたマフラーと同じモノだ。という事は、この少女は…?
「ボクはシャレル。シャレル=マリアだよ。それからこれは、貰った物」
「『マリア』……?」
少女の名乗りに、おてんこさまはまた首をかしげた。
ジャンゴたちの姓名に、「マリア」などというのはない。リンゴは確か「ラガスティ」で、マーニは「ソフォート」だった気がする。そもそも姓名という制度自体が薄れているのだが。
だが、彼女から感じる気配は自分に近く、太陽仔であることには間違いないようだ。彼女が自分のことを知っているので、おそらく太陽仔の一族の生き残りなのだろう。
それにしても、少女のヴァンパイアハンターとは。
自分が導いてきた太陽仔のヴァンパイアハンターは、年齢こそ違いがあれど全員男性だった。女性は大抵、子を産むことが使命となっている。新たな生命を産む事こそ、彼女らの戦いなのだ。
だが目の前の少女は、ジャケットにミニスカート、ロングブーツと動きやすい格好をしていて、腰には丁寧に剣をつるしている。見習いではなく、それを生業としている気配もあった。
「どうしたんだい?」
少女――シャレルが不思議そうな顔をして、自分の顔を覗き込む。
「あ、いや、なんでもない。それよりここはどこだ?」
適当に誤魔化して、二番目に聞きたかったことを聞くことにした。あたり一面は草木が茂ってはいるものの、何故か生命の息吹を感じられない。
草木こそあれど、感じるのは死の匂いばかり。まるでここが、あの死の都だったかのように……。
真剣な顔でうなってしまうおてんこさまとは対称的に、シャレルは気楽な顔を崩さずにけろりと答えた。
「ここはね、復活した死の都だよ」
藍色の髪をした黒衣の少女が走っている。ロングスカートであるにもかかわらず、その早さは常人のものをはるかに超えていた。
髪に挿した銀色の羽根が眩しい。
「お急ぎですかな? 黒翼姫」
唐突な男の声に、走っていた足を止めて細身の剣をいくつも『出す』。
鞘はどこにも無かったというのに、すらりと抜かれたそれは、投擲用のナイフのごとく少女の細い手にいくつも握られた。
物質を成しているものの、それは本当の剣ではなく、霊力によって生み出された『剣』なのだ。太陽の力以外でアンデッドを浄化できる、唯一の手段だ。
モノクロの服で決めた男は、黒衣の少女を舐めるような視線で見てにやりと笑う。
「つくづく、姫君はお遊びがお好きなようだ。レビ=リリス」
「なんと言われようと、お前たちの軍門に下るつもりはない。
……ましてや、第二のクイーン・オブ・イモータルなどには」
レビ=リリスと呼ばれた少女は、男に向って嫌そうに吐き捨てた。藍色の髪に隠れたルビーレッドの目が、クリムゾンへと変わる。
そっけなく断られたというにもかかわらず、男はやれやれと肩をすくめて余裕の表情を崩さない。むしろ、ますますその余裕が強くなった気がした。
「まあ、今嫌がっても、時間が立てば心変わりするという可能性もあります。我々の城へと来て下さればいいのですよ」
「断る!」
そう言ってレビは、黒く輝く十字架のような剣を男に向って投げつける。同時にダッシュで接近、腰に据えていた黒い銃を突きつけた。
一筋の青い影が走り、銃声と共に男は吹っ飛んだ。追い討ち、と言わんばかりにさっき投げつけた黒い剣が深々と突き刺さる。
あっという間に決着はついた……かと思われたが、男がゆっくりと起き上がると、剣は全て消え去ってしまった。銃で撃たれた痕も、もうどこにもない。
含み笑いと共に放たれた反撃を、レビは大きくバックステップすることでかわす。黒いスカートがはためき、まるで華のように広がった。
相手の攻撃はそれで終わらない。光のナイフがいくつも生まれたかと思うと、レビの頭上に転移して雨あられと降り注いだ。
対するレビも黒い剣――「黒十字架」を一振り生み出して、光のナイフを全て弾く。かけらがパラパラと散り落ちるが、それらは全て地に落ちるまでに消えた。
一通りの攻防が終わると、沈黙が落ちる。レビは銃を戻すことなく、黙って男の眉間を狙った。
「見事なものです。クイーンならぬ、プリンセス・オブ・イモータルと言ったところでしょうかねぇ」
「呼び方を変えたところで無駄だ。私はイモータルの元に降りる気はない。……例えそれが、死の一族の者だとしてもな」
「貴女のお父上は、一時期そちらの元にいましたっけか。貴女にとっては少し遠縁の伯母が、クイーンでした」
死の一族は、彼女にとっては親類とも言える立場に近かった。
彼が言うとおり父は一度その一族に身を寄せていたというし、遠縁の伯母はその一族の主だったらしい。だから、最初にコンタクトしてくるのはここだろうと思っていた。
元々自分は、『妹』とは大きく違うから。
闇を色濃く受け継いだためか、自分の力はどっちかというと不死者に近い。霊力を持つアドバンスドタイプのヴァンパイアハンターをしてはいるものの、蔑まれたのは少なくはないのだ。
とは言え、心の中身まで闇に浸したつもりはない。父や母から教わった「最後まで抗え」という言葉の通り、自分も最後まで人を辞めるつもりはないのだ。
男――イモータルの方もそう簡単に退くつもりはないらしく、説得できないのならと力ずくでどうにかしようとする。逆にレビにとっては、逃げ出すチャンスが出来た。
逃げ出す隙をうかがいながら相手をしていると、男もそれに気づいたらしく肩をすくめた。
「……名前すら聞きませんか」
「聞く必要はない」
一言で切り捨てて暗黒転移をする。チャンスができた以上、もうこの場にとどまる理由は何も無かった。
飛ぶ瞬間、レビは男の声を聞いた。
「私の名前はメナソル。今後ともよろしく……」
シャレルからある程度今の状況を聞いたおてんこさまは、うーんと唸ってしまった。
「イモータルが手を組んだのか…」
「純粋なのは減ってるからね。だからこそ、協力し合ってダークの意思を遂行しようとしてるんだ」
それだけ向こうも必死なんだよね、とシャレルは他人事のように呟いた。
死の一族、影の一族、魔の一族。それぞれが自分たちの中での実力者をあげ、同盟を結ぶ事で世界全てを滅ぼそうとしているらしい。
彼らが目指しているものは「アポカリプス」と呼ばれているが、それがどのような内容なのかは未だにつかめていない。
「手がかりは『生者、死者、不死者』。どうもこの三つに大きく関わる何かを探しているみたい」
「ふむ。で、お前はこれからどうするんだ?」
おてんこさまの問いに、シャレルは今更何をと言わんばかりの顔を向けた。
「ボクは姉様の後を追っかける。姉様は、昔からイモータルに追い掛け回されてたんだよね。美人だから」
「美しさは関係ないと思うが…」
ツッコミを入れるが、シャレルの方はあまり聞いていない。復活してしまったイストラカンを見渡して、「どこから行こうかな~」と鼻歌交じりで歩き出した。
ジャンゴの時にあった悲壮感はまるでなく、どこかに散歩に行くようなノリの彼女に、おてんこさまはこっそりため息をついた。
どういう子なのかはよく解らないが、彼女は能天気すぎる。これではイモータルどころかヴァンパイア相手でもやられてしまうかもしれない。
しばらくは彼女について行こう。細かくアドバイスしてやらねば。
おてんこさまはそう決心してシャレルの後を追った。
「……ボクや姉様が狙われる理由は、多分別の所にもあると思うんだけどね」
シャレルがぼそりと呟いたが、おてんこさまには聞こえていなかった。