こんな夜はあいつを思い出す……。
俺はまだ、あいつの微笑みから逃げられない。
ジャンゴとリタ、刹那と未来が太陽都市に向かった日の夜。
住人は全員“眠った”らしく、サン・ミゲルは暗闇に包まれた。明かりといえば宿屋の明かり。星明り。そして……。
「満月、か」
サバタは宿屋の屋根で寝転んでいた。
月光仔の血を色濃く継ぐサバタは、満月の夜、その力を無意識に拡散させている。人には、薄紫色に発行するオーラか何かが『視える』はずである。
幸か不幸かサバタの周りの人々は『視える』人が多い。太陽少年、おてんこさま、大地の巫女、ひまわり娘。
――嘆きの魔女。
何気に手を月に向かってかざすと、彼女がその手を取っている錯覚を覚えた。
「カーミラ。俺は無駄なことをしている」
魂が何かに共鳴する音が聞こえる。
元々、死と消滅とは何なのだろう。
体が動かなくなること? それなら寝ているのと同じなのではないか? 意思がどこかに行くこと? 人は意志が判る生き物なのか?
分からない。
再生とは何なのだろう。それも分からない。生きることも、分からない。
唯一つ分かるのは、自分とカーミラは一つになることができなかったこと。
サバタはカーミラの全てを欲し、カーミラという少女に救いを求めていた。同時に、カーミラに全てを与えたかったし、彼女の救いとなりたかった。
おそらくカーミラもそう思っていた。だから二人は強く惹かれ、お互いを強く求めた。肉体的にも、精神的にも。
「初めては、確かこんな満月だったか……?」
恐る恐る抱きしめあい、口付けを交わしたあの夜。
あの時、二人は全てから自由だった。限りなく小さく、儚い幸せを確かにその手にしていた。
だが、彼の手は血塗れだった。その手で幸せなど掴める物ではなかった。
血塗れの手を握り返してくれるカーミラは、サバタにとっては女神だった。その女神を、血で濡らした罰があの別れだった。
その事に関してだけは、サバタはジャンゴを憎んではいない。寧ろ彼に感謝していた。血塗れとなった彼女を、彼は浄化してくれた。
ジャンゴは、救いを与えた――偽りの生から開放したのだ。
それはどうサバタが足掻いても出来ないことであり、サバタが心の底で願っていたものだった。――浄化された魂が、望んでサバタの元にとどまった事に気づくまで。
カーミラの心が強く息づいていることに気づいたサバタは、同時に本当は人として二人で幸せになりたかったことに気がついた。
暗黒少年としての全てを捨てて逃げ出しても、彼女と幸せになりたかった。彼女だけが、欲しかった。
その思いは彼の嘆きのロザリオとなり、永遠の罪と罰になった。
――サバタさま……
彼女の声が聞こえる。
「ふふっ…、お前がいなければ俺はいなかった」
月下美人に必要な条件は狂気と慈愛。狂気は常に発していたものだったが、それに等しい位の強い愛は彼の心の中にいるカーミラが引き出した。
だが、自分がいなければカーミラはどうだったのか?
分からない。いや、考えたくない。
自分がいない頃の彼女。絶望だけを知っていた頃の彼女。彼女は自分と出会ってしまったことにより、もっと深い絶望を知ってしまった。
「もし俺とお前が会わなければ……」
お前は、もっと幸せを知ったんだろうか?
「幸せだったんでしょうね」
乱入した声に、サバタが大きく反応する。身体を起こし、腰に備え付けてあるガン・デル・ヘルを取った。
声は言葉を続ける。
「少なくとも、私達天使は彼女を救える力があったわ。彼女の力を、異端とはしなかった」
「…天使か」
サバタの警戒レベルが鰻上りに上がっていく。
天使。
今の彼にとっては、憎むべき敵である。よりにもよって、彼らは彼女が眠るあの場所を前線基地とした。
「お前らに、あいつを救えるほどの慈悲があるって言うのか?」
「そうよ。貴方のようなイモータルとは違うもの」
「言ってろ」
サバタは笑った。人を洗脳し、目的のためなら人の意志を無視する。そんな輩がイモータルと違うと嘯く。
ブラックジョークとしては上等だった。
「下賎な暗黒仔は、笑い方も下品ね」
一方、声の方は笑われるとは思っていなかったらしく、言葉に怒りがにじみ出始めた。物腰穏やかな人ほど切れやすいのは、どの種族も同じようである。
声の場所をある程度予想して、ガン・デル・ヘルを構える。声の主もそれが分かったらしい。ばさり、と音が鳴った。
「いいわ。その笑い、私が打ち消してあげる。
……死になさい」
「ふん。デビルに似た匂いがするからか?」
「確かにね。貴方はあの汚らわしいデビルと同じにおいがする。見るに耐え切れない」
撃つ。先の言葉に反応したわけではない。その言葉で場所を特定したので撃っただけである。
命中した手ごたえは無い。どうやら避けたようだ。
「すぐに怒る。まったく、美しくないわ」
豪風。
風にまぎれていた真空の刃が、サバタを軽く切り裂く。頬に痛みを感じて、手をやってみると血が流れていた。
……ガン・デル・ヘルを握る手に力が篭る。
「きれいな顔を傷つけられたのがそんなに嫌?」
「馬鹿な」
第二波。今度はかなり強い。
とっさに防御姿勢をとるサバタ。轟音が耳を切り裂き、体中に赤い筋が一つ、また一つと増えていった。
凶風に耐えながら、サバタは反撃方法を考える。が、休みなしに続く風はサバタのダメージをどんどん増やしていく。余裕は無い。
(俺があれに耐え切れるかで勝負が決まる……!)
傷がまた増えた。その時。
静かな風が、吹いた。
「「!?」」
声の主が放ったものではない。凶暴でとげとげしい風を返す、優しくて暖かい風。
「サバタ!」
さすがに起きたらしい。ザジが窓から顔を出した。サバタが手を振って合図すると、すぐに窓が閉められた。見捨てたのではなく、サバタがいる天井裏に向かったのだ。
声の主は自分の風を吹き返した風と新手に動揺しているようだった。反撃しようとサバタが構えると、またばさりと音が鳴った。
「……今日は貴方と対峙するつもりじゃなかったわ」
「負け惜しみか」
「何とでも言いなさい……!」
気配が消えた。
追い討ちをかける気はない。相手が本気ではなかったのと同じく、自分も全力を出して倒すつもりは無かった。
「サバタ!」
タイミングが良いというか何と言うか。屋根裏部屋の窓から、ザジが顔を出した。きょろきょろと顔を動かして、敵がいないかどうか確認する。
……サバタに言わせれば、敵はもう帰ったので全くの無駄な行動なのだが。
確認し終わったザジは、よいしょと屋根に移った。足取りがややおぼつかないが、サバタは手を差し伸べたりはしない。手を差し伸べるものではないと知っているから。
「怪我あらへん?」
ザジにそう言われて、サバタはさっきまでの痛みが引いていることに気がついた。改めて自分の体を見てみると、傷が消えている。
(さっきの風か?)
凶風を返し、人の傷を癒す風。
そんな風を起こせる人物は、サバタが知る限り一人だった。
――お前なのか、カーミラ?
答えは、ない。
夜は更ける。
満月は、煌々と輝く。
その満月に、影がいくつも入ったことに、サバタは気づいていなかった。