アムール

 この世界から「バレンタイン」という行事が消えてどのくらい経っただろうか。
 それでもその日には特別な相手には特別な物を送る、という風習は残っていて、その日が近づくにつれ、相応しいアイテムを並べる店が増えてくる。
 リタが見つけた花束も、その一つだった。

「ボーテ、アムール、シャンス、ミニョン、イノソンス。花はいかがですか?」

 美しさ、愛、幸運、可愛さ、純粋。それらを名付けられた花の苗は、どれもが綺麗なつぼみを見せている。一週間ぐらい経てば、それは鮮やかな色の花を咲かせることだろう。
 そんな花々の中で目を引いたのは、赤い花……アムールだった。
 真紅は想い人……ジャンゴのマフラーの色でもある。その色に合わせた花を手作りチョコと一緒に贈ると言うのも悪くないかもしれない。
 もちろん、名前のアムールの意味も解っている。それを承知の上で贈りたいと思った。彼のイメージカラーにぴったり過ぎて他の花はもう目に入らなかったし、何より自分の気持ちを伝えたかったから。
 最初に助けてもらってから、彼女の恋心は決して色あせる事はなかった。それどころか、今は相手と変わらぬ一日を過ごせると言うだけでも幸せを感じられるようになった。何故なら、この世紀末世界で今日と同じ明日を迎えられるとは限らないから。
(きっとジャンゴさまなら飾ってくれるはず)
 花の名前が持つ意味まで気づかなくても、精一杯咲き誇る花に命を感じてくれるだろう。枯れるところまで含めての命だと、解ってくれるはずだ。だからこそ、好きになったのだから。

 それからしばらく。
 リタは太陽樹の世話と共に、アムールの花の世話もしていた。
 元々何かの世話をするのは好きだし得意だから、苗が一つ増えたところで苦労が増えたとは思っていない。それどころか、徐々にほころび始めているつぼみを見るのが最近の楽しみになっていた。
 しかし。
「最近、サン・ミゲルのあちこちでアンデッドを見かけるようになったんだよなぁ」
 果物屋で果物を選びながら、ジャンゴがぼやく。
 サン・ミゲルの瘴気は太陽樹で浄化はしているものの、末端まで浄化しきれてはいない。その外れた闇から、ちらほらとクロロホルルンなどが湧いているらしい。
「中央まで来る可能性もあると言う事でしょうか?」
 さすがに気になったので聞いてみると、ジャンゴはうーんと唸った。
 今のところ大きな事件はないものの、生き物が安心して暮らせる時代とは程遠い。そもそも、こういう小さな事件だと思っていたら実は……と言うのもよくある話なのだ。
「まあ中央まで来る奴がいるとは思えないけど、気を付けて。特にリタの家って、結構端の所にあるしさ」
「ええ、まぁ……」
 同じサン・ミゲルの出身とは言え、住んでいる場所は大きく違う。リタが今住んでいる場所はサン・ミゲルの外壁近くで、やや治安も良くない場所だ。正直、引っ越しも考えているぐらいなのだが、今がその時なのだろうか。
 ジャンゴに注意を促された事で、リタは急に家で育てているアムールの花が気になってきた。
(あの花だけでも、安全な場所に移動させようかしら)
 そんな事を考える。だが自由が利いて、花を育てるのに向いている場所となると、太陽樹かここ果物屋ぐらいしかない。果物屋の近くに置いたらバレるかも知れないし、太陽樹の傍に置くのは大地の巫女として気が引ける。
「リタ?」
 急に悩みこんだ彼女が気になったのだろう。ジャンゴが心配そうに声をかけてきた。余計な心配をかけさせないように、笑顔で大丈夫だと返す。これは難問だ、とリタは内心頭を抱えそうになった。
 そして夜。
 そろそろ果物屋も閉めるか、と閉店準備をしていたら、ザジが血相を変えて飛び込んできた。
「リタ、ヤバい事んなった!」
「どうしたんですか?」
「アンデッドが、リタの家ん近くに出たわ!」
 驚く間もなく、身体が動いた。
 持っていた果物をその場に置いて、リタは店を飛び出す。ザジが出たのを見計らって果物屋のドアに鍵をかけると、猛スピードで自分の家へと走り出した。
「ジャンゴたちは別んとこに出たアンデッド相手にしてるから、そっちに行けへん言うてた!」
「そうですか!」
 走りながらの会話で、ジャンゴたちの協力は難しい事を知る。どうかヴァンパイアやイモータルがいませんように、とリタは心の底から祈った。

 ザジの言う通り、家の周りにいたのはアンデッドだった。祈りが届いたか幸いヴァンパイアやイモータルらしき影はなく、このぐらいならリタ一人でも倒せそうだ。ただ、問題は。
「家の中に入るなァッ!!」
 律義にもドアを開けて家の中に入ろうとするグールを、鉄拳一つで吹っ飛ばす。
 家の中に入ろうとするモノや家自体を破壊しようとするモノ。色んなアンデッドが家に群がっていて、それら全部を一人で倒すには手間がかかりそうだった。最悪、家の中にももうアンデッドが入っているかもしれない。
 こうなったら家具などの多少の損傷は仕方ないとして、まずは家を守るのが先決だ。そう判断したリタは、家の中に入る。最悪な予想は当たり、家の中にもスケルトンなどが入り込んで暴れていた。
「何してんだオラァッ!!」
 テーブルを壊そうとしていたスケルトンに対しテーブルその物をひっくり返すことでばらばらにする。花瓶とか置いてなくて良かった、と心の中でほっとしたが。
「……花!」
 花瓶から思い出すアムールの花。日の当たる場所に置いたのだが、逆に言えば目立つ所に置いたと言う事になる。家の中にアンデッドがいる以上、花が無傷の可能性は低い。
 リタは扉に縋りつこうとするスケルトンを蹴り飛ばし、家の中で一番日の当たる場所……リビングに飛び込む。最悪な事に、リビングにもアンデッドがいて、好き放題に部屋を荒らしていた。当然アムールの花も例外ではない。
 ひっくり返されたアムールの花の鉢を見て、リタの中で何かが弾けた。
「てめぇらァァァァッ!!」
 リタの怒声にひるんだグールの顔を、拳が貫く。もう汚いとかそう言うのは関係なかった。ただただ、烈火のごとく燃え盛る怒りが頭の中にあるだけだった。
 家具すら壊す勢いで暴れまわるリタ。気が付いた時にはアンデッドは全部倒されており、自分が暴れた跡しか残っていなかった。
「リタ、大丈夫か! ……って心配はいらんようやな」
 ザジがリビングに入って来て、その惨状に安堵やら呆れやらのため息を付く。どうやら家の外にいたアンデッドも無事に排除できたようだ。
 だが。
「花が……」
 もうすぐ開花まで行っていたアムールの花。その花はほとんどが根まですっぱりやられており、植え替えてもどうしようもないのが一目で解ってしまった。
 それでも何か残ってないか必死になって探していると、ぼろぼろの花の中から一輪だけ根まで残っているつぼみが見つかった。植え替えれば、何とか花を咲かせてくれそうだ。
「お、何とかなりそうやな!」
 ザジが二つ名通りのひまわりのような笑顔を見せる。その笑顔につられ、リタもほっと安堵の笑顔を見せた。

 そして2月14日。
 太陽樹の元にジャンゴを呼び出したリタは、丁寧にラッピングされた手作りチョコとアムールの花を渡した。
「じゃ、ジャンゴさまっ、こ、これ……」
 あの時の襲撃を乗り越えて、綺麗に咲いたたった一輪の花。鮮やかな真紅の花は、ジャンゴのマフラーとよく似た色をしていた。
「ありがとう、リタ」
 受け取ったジャンゴは、太陽のような明るい笑顔を浮かべる。その笑顔を見て、リタの顔が真っ赤になる。その顔の色もまた、アムールの花の色とよく似ていた。