Change Your Way・10「離れる」

 遺跡の崩壊は、朝になるまで誰も気づかなかった。
 理由は単純。音を立てずに遺跡が朽ち果てたからだ。一夜で何万年もの時を越えてしまったかのように、あっさりと。

 一番最初に気づいたのは結局朝まで駆けずり回っていたサバタとカーミラだった。暗黒転移を使って遠くまで情報を集めていたが、成果が上がらずに帰ってきたときにカーミラが魔力を探知した。
 サバタはカーミラと同等に魔力があるものの、いまいち使い方などを理解しきっていない。人間だった頃から使い方を理解していた彼女の方が察知・探知能力に優れていたのだ。
 ともかく、カーミラが崩壊を探知し、二人は即座に遺跡まで飛ぶ。正直サバタには少しきつかったが、今はそう言ってはいられない。
 ――そして飛んだ先で、サバタとカーミラは目を疑った。

 砂漠の遺跡が、一つだけになっていた。
 遠くからうっすらと見えていたはずの、もう一つの遺跡がどこにも見当たらなかった。

「何なんだ、これは……」
 かろうじて出した言葉はそれだけだった。
 確かに、あの遺跡は石版をはめ込まない限り浮上しない仕組みになっていた。しかしジャンゴがその仕掛けを起動させてからは、浮上したままになっていた。
 それが今は見えないという事は、浮上したものを誰かがまた下降させたのか、それとも何らかの理由で遺跡が丸ごと消えたのか。
 カーミラが魔力を探知したことから、おそらく後者が正解だろう。誰かが膨大な魔力を使って遺跡を崩壊させたのだ。
 原因を探りに調査をしたい所だが、今は散々探し回った疲労が溜まっている。早く家に帰って寝たい気分だった。それにカーミラは日差しに弱い。
「帰るか?」
 そう聞くとカーミラは素直にうなずいた。こっちを思いやってのことなのかもしれないが、今はその好意に甘えることにした。
 暗黒転移で、直接家の中へと飛ぶ。御飯をかきこむ気にもなれずに、さっさと部屋へと向かう。それはカーミラも同じだったらしく、珍しく真っ先に部屋へと帰っていった。
 歩いている中、あくびが止まらない。相当疲れているようだ。
 とりあえず寝て、起きたら弟と相談しよう。弟の方は何を掴んだかは分からないが……。そう思いながら、サバタは部屋に入る。
 ベッドに潜り込む時、隣のジャンゴの部屋で何か知らない声が聞こえたような気がするが、詮索する前にサバタの意識は眠りについた。

 ジャンゴが起きる前にユキが起きた。
 今までずっと眠り続けてきた影響か、どうしても深く寝付けない。何度も目を覚ましては眠りに落ちるというのを繰り返していた。
 隣で体を丸めて眠るジャンゴに視線を移すと、彼は穏やかな寝息を立てて眠っていた。ちなみにおてんこさまとかいうひまわりは、もうどこにもいない。
 この人は、いい人なんだろうか。起きる度にユキはそう思う。
 見た目は温和で、いい人そうだ。だが、中身はどうか。
 幼いながらも、ユキは今まで人を信じることに疑り深くなっていた。育ってきた環境が、彼をそうさせてしまったのだ。
 他人を見たらまず疑え――自分の家族がいつも言い聞かせていた言葉だ。優しくする人ほど信じるな、とも教えられた。だが、ジャンゴはその疑いを持つのがかわいそうに思えたのだ。
 なぜかは分からない。確かに、彼の言動には悪意を感じられなかったし、自分たちを取り巻いていた嫌な感じはちっとも感じられなかった。その気配を隠しているようにも見えなかった。
 ジャンゴが軽く寝返りを打ち、ユキの方に顔を向けた。
 その顔――何の苦しみもない無邪気な寝顔――を見て、ユキは何となくだが自分がジャンゴを疑いきれない理由を理解する。
(……この人も、苦しんでいるからだ)

 

 頬にざらついた感覚で、リタの目が覚めた。
 変な姿勢で眠っていたせいで体の節々が痛い。体を伸ばすことで元に戻そうとするが、どうも体が伸びない。――手が、途中で止まってしまう。
 手が何かにぶつかる感触で、ようやくリタは自分の周りに不可視のフィールドが張られていることに――ここが自分の知らない場所だということに気がついた。
 幾何学的な魔方陣と柱で構成されている、全く不可思議な空間。唯一の物ともいえる中央と東西南北に置かれた椅子のうち、西の椅子はぼろぼろに崩れていた。
 今まで見たことも想像したこともないこの不思議な空間に、リタの精神は半分パニックを起こしていた。
(……ジャンゴさま!)
 混乱する精神を抑える、魔法の言葉に等しい名前。反射的に思い出せる彼の笑顔にリタの心は少しずつ落ち着きを取り戻していった。
 ここが自分の知らない場所なら、何とかして脱出してサン・ミゲルに帰らねばならない。でなければ、一生あの笑顔に会えないのだ。落ち着きと共にこみ上げる闘志が、拳に現れる。
「いやあ、恋する乙女というのはそれだけで強くなれるものなんですねえ」
 湧き上がる闘志の炎を消すかのごとく、ひやりとした声がリタの耳に飛び込んできた。この声には聞き覚えがある。遺跡のあの部屋で、自分を抑えて見せたあの男。
 ずっとそばについていたビドゥが警戒心たっぷりの声で唸り、その声を合図にしたかのように男が現れる。
 あの時は後ろからの不意打ちだったので姿を見ることはできなかったが、実際目の当たりにするとどこに自分を圧倒できる腕力があったのかと思うくらいの黒ずくめの優男だった。
 だが、この感覚は。握った拳から汗が噴出すほどの危険を感じるほどの黒い感覚は何なのだろう。
「……貴方は、誰ですか?」
 彼から発せられる黒い感覚に負けないように、リタは凛とした声で聞く。男はリタの負けん気とその強さに、心の底から感嘆の拍手を送った。
「これはすごい。貴女は肉体的だけではなく、精神も強いのですね。本当に素晴らしい女性だ」
「そう思うんでしたら質問に答えてください!」
 相手からは茶化す雰囲気も感じられないのが逆にリタの神経を苛立たせる。男もそれが分かっているのか、ふっと肩をすくめてから、姿勢を正した。

「私の名前はヤプト。――「混沌王」ヤプトと申します。クストースの主「運命王」の影であり、共にあるべき存在。それが私ですよ」

 混沌王。ヤプト。運命王。新たに聞かされた3つのフレーズをリタはしっかりと記憶する。
 クストースは前に一回ジャンゴを負かした相手として覚えている。その時は、確か「浄土王ザナンビドゥ」という名前だったか。
 となると、ここはクストースたちのアジトということになる。なるほど、そう考えると今まで知りうるイモータルとは違う彼らに相応しいアジトだ。
 残りのクストースは全員出払っているのか、今ここにいるのはリタとビドゥ、それからヤプトである。不可視のフィールドは破れないことはないはず。
 脱出のチャンスは意外と多そうだ。なら今は体力を温存するに限る。そう思ってリタは抵抗しようとしていた拳を下ろした。ヤプトはそれを見てふう、とため息をこぼす。
 何に感心しているのかは分からないが、相手にしないほうがいいと思った。……だがヤプトの次の言葉で、大きく反応してしまう。
「……ここから脱出する前に、一つ貴女に見て欲しいものがあるんですけどねぇ」
 そう言ってあごで指し示したのは、中央の椅子の上にある何かだった。かなり高い場所にあるので暗がりに隠れて見えなかったが、それは魔力か何かで自然と浮いているようだ。
 高すぎる所にあるので、良くは見えない。それでも目を凝らしてみると、水晶で出来た人物らしい像であることが分かった。
 らしい、と断定できないのはその背中に何か羽が生えているから。水晶の幻想的な輝きもあって、リタは最初妖精の等身大像かと思ってしまった。
 細部まで良く見えないものの、人の目をひきつけて離さない幻想的な人の像。その像は、右手を天に掲げた姿でかたどられていた。
「我々の神ですよ」
 ヤプトも見上げながら説明する。
「クストースを導き、運命王が守るべき存在。我々がこの地に来た理由こそ、あの神なのです」

 ヤプトが去ってからしばらくは、リタはあの水晶像について考えていた。クストースたちが崇める神。運命王とやらが守る存在。
 ただの像ではないとは思っているが、いったい何の力を秘めているというのか。それに、あの水晶像に従ってきたというその意味は?
 色々と考えているうちに、リタは「ここから脱出する」という事を半分忘れかけていた。そんな時。

 しゃりん

 清らかな鈴の音が、リタの回りを覆う不可視のフィールドを打ち消した。
「……え!?」
 考え事に集中していたので、一瞬判断が遅れた。恐る恐る手を伸ばしてみると、確かにあったフィールドが今はない。気配を探ってみると、今のところ誰もいないようだ。
 ご都合主義めいてはいるが、脱出のチャンスだ。
 リタは辺りを見回して出口を探すが、空間が広すぎてよく分からない。ビドゥも困り果てているようで、にゃーんと一つ鳴いたっきりどこにも動かない。
 ――困り果てていると、視界の端で誰かが動いた気がした。
「今のは……」
 見覚えがある。だが、思い出せない。……というより知らない。
 知らないはずなのに、良く覚えている姿。覚えているのに、思い出せない姿。カルソナフォンと最初すれ違った時と同じような感覚。だが、彼女ではない。
 手がかりは少ない。だからこそ、その不思議な感覚を信じてみる価値はある。
 リタはその姿を追いかけて走り始めた。その後をビドゥがついて行く。

 

 犠牲は一人でいい、と彼女は笑った。
 泣いていると日は昇りませんよ、と彼女は言った。
 だけど、自分はそれを守れなかった。

 ごめんなさい。ぼくは、あなたのようにつよくはなれなかった。

 果てしない絶望の時に突きつけられた一つの選択。
 それに乗ったのは、自分。そして選択したのも、自分。
 だから後悔はなかった。

 ごめんなさい。ぼくは、せかいをまもりきれなかった――――

 

 また、夢を見た。
 ジャンゴはいつしか濡れていた頬を拭う。夢を見て泣くのは久しぶりだ。あの時は、周りが真っ暗で自分を追い詰めすぎたゆえに見たものだった。
 隣では、ユキが静かな寝息を立てて眠っている。
「ああ、この子紹介しないと」
 ジャンゴは確認するように呟くと、ユキを起こさないようにベッドから出て服を着替え始めた。