外に出たはいいが、この先どうするかを考えていなかったことに気づく。
自分のカンでは外に出れば何かしらの展開があると思っていたのだが、それはさすがにご都合主義もいいところのようだ。
「ビドゥ、貴方は何か分かりません?」
腕に抱えたままの猫は、唸りもせずにリタの腕の中で存分にリラックスしている。もう少しすればあくびをして眠りだすかもしれない。
騙された?と少しだけ思ってしまうが、リタ自身のカンはまだ何かを訴え続けている。何かがある、何かが起きる。そうざわめくのが収まらない。
リタはこのまま商店街を出て、適当に歩いてみようと思った。店はもう閉めてある。自分が出歩いてもそう不都合はないだろう。
まずはどこを歩こうか……。そう考えていると、前から誰かが来るのが見えた。
ジャンゴとおてんこさまは少年を連れて、地下水路を出た。
最初敵かと思ってパニックになりかけた少年だったが、ジャンゴたちが誠意を込めて説明すると落ち着いて話を聞いてくれた。
早速自己紹介を……と思ったが、時間が時間なので、簡単に名前だけを名乗りあって後は明日にということになった。
少年の名前はユキツホリ。ユキでいいと、少年は言ってくれた。
「変な名前でしょ? でも僕達の村ではこれが普通だったんだよ」
そう言ってくすくす笑うユキは実際の年齢よりも幼く見え、ジャンゴとおてんこさまも釣られて笑ってしまった。
家に帰ればサバタとカーミラに説明しなければいけないかなと思っていたが、幸い彼らは『シヴァルバー』の情報を探しに一晩中駆けずり回るらしい。
ジャンゴは誰にも話さずにユキを家にかくまうことにした。兄達には悪いが、明日みんなを宿屋辺りに集めて紹介しようと思う。何しろ、時間が遅い。
と、そこまで考えてジャンゴは食料の在庫が不安になった。自分と兄とカーミラ、そしてユキの分。まだ小さいユキは少しで満足してくれるだろうか。
今のところ、家にある食料は大分少ない。ザナンビドゥの襲撃がなければ、隣町まで買出しに行こうかと思っていた頃だった。
とりあえず今日の分は持つ。だが、明日はどうなるか。
仕方がないので、足りない分は太陽の果実で我慢することにした。倉庫に行ってスミレに頼めば、保存しているいくつかを出してもらえるだろう。
ジャンゴはユキに自分の部屋にいるように言って、外に出た。
日が沈み、もうすでに辺りは暗くなっている。一番短かった季節に比べて、大分日の入り時間が遅くなってはいるものの、まだまだ日は短い。
先天的なものか、ジャンゴは暗闇の中を歩くのは好かないので自然と早足で歩き出す。誰かとすれ違って話し込まない限り、スミレはまだ倉庫にいるだろう。
と、商店街に向かう途中で誰かの影が見えた。無視しようかと思ったが、影の行く先が自分の行く先とすれ違うので、ジャンゴはあえて足を速めて自分から近づいた。
一歩一歩近づくたびに、影がはがれ相手の顔が見えてくるようになる。この暗闇の中、何故か決して目立つことのない白い毛並みの猫を抱えた少女。
ジャンゴが知りうる限り、その猫を抱えて歩く少女は一人しかいない。早足が駆け足となり、ジャンゴは彼女に近づいた。
「リタ!」
声をかけると、リタは目を丸くした。真正面から来たのに、今ジャンゴが来たことに気づいた表情を見て、ジャンゴは内心首をかしげた。
何かを考えていたのだろうが、その何かが妙に気になった。そもそも、ビドゥを連れて歩いている理由も分からない。猫の散歩など聞いたことがなかった。
ビドゥの方に目を移すと、彼は知らん振りしてあくびをした。理由はあるけどお前にゃ教えないぜ――ザナンビドゥの声がジャンゴの脳裏でリアルに聞こえる。
リタの方に戻してみると、彼女もビドゥのその態度で困り果てているようだ。
「…どうしたんだ?」
ジャンゴはそれでもあえてリタに聞いてみた。もし大事になりそうだったら、自分もついていったほうがいい。しかし、リタはにっこり微笑んで首を横に振った。
「ただの散歩ですよ」
――嘘だ。
ジャンゴは即座にそれを悟る。今の言葉は自分を不安がらせないためのでまかせだ。本当は何かある。それなのに自分には話さないのだ。
情が薄いわけではない。むしろ相手を思いやっているから、何も話さないのだ。それがよく分かるのは、自分もそうしているから。自分も、相手を思うがあまり全てを話せないのだ。
しかしこうなると、もう彼女が何をしにいくかは聞き出せないだろう。下手に聞き出そうとすれば、もっと頑なに自分に心を開いてはくれない。ここは待つのがいいと思った。
時間はある。いつかリタも素直に話してくれる時が来るだろう。ジャンゴはそう思った。
「分かった。もう暗いから気をつけてね」
ジャンゴがそう声をかけると、リタの代わりにビドゥが一つ鳴いて返事をした。ついくすりと笑うと、リタも釣られてくすくすと微笑んだ。
また明日、と手を振りながら二人は別れる。
――その「また明日」が遠い日の事になる事も知らずに。
スミレに簡単に事情を話し、倉庫から適当に大地の実と力の実を取る。効果ではなく、腹の足しになりそうなものを選んでサックに詰めた。
外に出るともう夕闇の欠片も消え去り、完全な夜だった。空を見上げると月と星がいくつか。明かりには不自由しない。兄とその恋人は今どこにいるだろう。お腹を空かせてなければいいが。
つらつらと適当な事を考えていると、結局は遺跡で戦ったザナンビドゥや広場で会ったヤプトなどのクストース、地下水路の隠し部屋で見つけたユキなどの事になる。
浄土王ザナンビドゥ、クストース、魂の再構成、ヤプト、『シヴァルバー』、転移の研究、ユキツホリことユキ。――それから、「亜生命種」。
兄はあのグール大量発生事件が一つのきっかけとなって、話が作られてきていると言っていた。『彼女』も、リタの母親であるヴァンパイアも、魔道聖書も、『夢子』も、ハスターも全ては繋がっていると。
エターナル事件の後に起こった事件の数々。そして、その間に変わって行った自分の環境。――もし、それすらも誰かの筋書き通りだとしたら? ジャンゴは自分の考えに寒気がした。
リタが自分と同じ半ヴァンパイアになったのも、ザジがセイというパートナーを得たのも、サバタがカーミラを復活させたのも、全てが誰かの思惑通りだとしたら。
その筋書きの先が、とんでもない未来へと繋がっていそうな気がする。おてんこさまが語る生命の賛歌に溢れた未来でもなく、イモータルが叶えようとする消滅の未来でもない未来。
誰かが望む未来。だが、誰も望んでいなそうな未来。それは一体?
――心は海なんだ。そして全ての意思は大海に存在するちっぽけな島。
だから、誰かが望むんじゃない。全てが反応しているんだ。
「!?」
唐突に脳裏に飛び込んできた“声”に、ジャンゴは危うくサックを落としかけるところだった。おととい自分の危機を救ってくれたあの声が、今自分に一つのヒントを授けてくれている。
辺りを見回すものの、声の主らしい人影はどこにもない。……いたとしても、その人物が声の主とは思えなかったが。
それにしても、何だろう。この胸を貫くかのような悲しみは。
“聞く”だけで涙がこぼれそうになるのは、何故なのだろう。
ジャンゴと別れたリタは、ビドゥを連れて肆番街へと来ていた。
目指しているのは遺跡。ジャンゴがザナンビドゥに手痛い敗北を受け、二回目の戦いで見事に打ち勝って見せた場所である。リタは詳しくは知らないが。
砂漠の奥にある遺跡につくと、ビドゥがリタの腕の中から抜け出してあの隠し部屋へと導く。何も知らない彼女は、一瞬見知らぬ部屋に躊躇するが、勇気を出して入り込んだ。
魂の再構成について書かれてあるその部屋は、リタにとっては「よく分からない部屋」だった。自分では古代文字を知らず、また近くに知っている人もいないので当然ではあるが。
謎の文字で埋め尽くされた部屋に少しだけ戸惑っていると、ビドゥがころころと何かを転がしてきた。拾ってみると、怖いくらいに綺麗な赤い宝珠。
自分のカンはこれを伝えたかったのだろうか。そう思わせるほど、強い“何か”を感じる宝珠。そう、目の前の猫と同じような“何か”。
「おや、貴方がそれを拾いに来ましたか」
見知らぬ男の声にリタは条件反射的に裏剣を打とうとするが、その拳は右手一つであっさり受け止められる。
「っ!?」
迎撃の一撃を軽くいなされてその目が見開かれるが、リタはすぐに驚きをねじ伏せて第二弾の攻撃を放とうとする。スカートが鮮やかに翻って大輪の華となるが。
「いけませんねぇ。年頃の乙女がそのようなことを」
握られた手から凄まじい黒い何かが体の中を荒れ狂い、リタは意識を手放してしまった。ご主人が倒れたのを見たビドゥは勇敢に男に飛び掛るが、あっさりと弾かれて意識を失う。
残された男――ヤプトは、意識を失ったリタを軽々と担ぎ上げると赤い宝珠とビドゥを無造作に仕舞いこむ。
――しばらくして、遺跡が崩壊した。