剣を落とした手が、静かに握られる。
「……お前が、ザナンビドゥを……」
唸っていた猫が、ジャンゴの方を向いてにゃーんと悲しそうな声で鳴いた。奴ばかりを責めるな――そう言いたいかのような声で。
ヤプトはそんなジャンゴの怒りを、お門違いだと言わんばかりにため息をつく。その態度も、ジャンゴの神経を逆なでさせた。
確かに、実際に手をかけたのは自分だ。だがそこに至るまで、自分はヤプトの筋書きに踊らされていたようで腹が立つ。自分の手を汚さずに、人に手を汚させるその神経が許せなかった。
落ちた剣の代わりに、ガン・デル・ソルを抜いてヤプトに狙いを定める。ヤプトも今度はため息などでごまかさず――それでも笑みは崩さずに、応戦体制をとる。
パイルドライバーがセットされたままの広場で、また戦いが始まるかと思いきや。
にゃーん!
猫が鳴いた。
その声はとがめる声に聞こえたが、何よりも注意を促す声に聞こえた。
猫の視線に合わせてみると、騒ぎを聞きつけたのかサバタとカーミラ、ザジがこっちに向かってくるのが見える。声はまだ聞こえないが、「大丈夫か」とかを言っているのだろう。
視線で彼らを確認して、ジャンゴはヤプトの方に向き直る。手を振りたいところだが、それで隙が生まれてしまっては意味がない。
が、ヤプトの方は戦いを続ける気はなかったようだ。
「どうやら、タイムオーバーのようです」
わざとらしく時計を確認するフリをする。タイムオーバーというのはただの口からのでまかせで、本当は分が悪くなったので逃げるつもりだろう。
無論、ジャンゴは逃がすつもりはない。ずっと溜めていたガン・デル・ソルの一撃をヤプトに向かって放つ。
その一撃はヤプトを完全に捕らえ――すり抜けた。
「なっ!?」
幻を見せ付けられた気がして、ジャンゴの気が動転する。それはおてんこさまも同じらしく、何度もガン・デル・ソルとヤプトを交互に見てしまった。
ヤプトはそんな二人に嘲笑を投げる。
「急がなくても、私達がいる場所へ来ればいつでも歓迎いたしますよ。太陽少年。我等の聖域、『シヴァルバー』へ来ればね」
「シヴァルバー?」
聞いた事のない地名にジャンゴは首を傾げるが、おてんこさまは違った。ただ、彼も具体的にそこが何なのかは思い出せないらしくてぶつぶつと呟いていたのだが。
ヤプトの姿がどんどん実体から幻へと変わっていく。まるで霞の中に消えていくようなその感じに、ジャンゴは最初から彼は“そこ”にいなかったことをようやく悟った。
実体があるかのように錯覚させることが出来るほどの幻影の魔法。それを使いこなせるという事は、相手は相当の実力の持ち主だ。戦わなくて良かったのかもしれない、とジャンゴは思う。
完全に消えてから、ようやくサバタたちが合流した。ジャンゴもガン・デル・ソルを下ろして彼らの方を向く。
サバタはヤプトが消えたあたりで匂いをかぐ仕草をする。傍から見れば意味不明な行動だが、魔法に通じている者は、匂いだけである程度手がかりを得ることが出来るのだ。
「一体、どうなってるんねん?」
ザジの当然の質問に、ジャンゴとおてんこさまは答えることが出来なかった。
とりあえず話は落ち着いた場所で、ということで、ジャンゴたちは宿屋に来ていた。
「……?」
「大地の巫女なら怪我をした奴らの手当てだ。太陽の果実は一般人にも効果があるからな」
自然と彼女の姿を求めて辺りを見回すジャンゴに、サバタが淡々と説明する。名前を出してもいないのに何で分かっちゃったんだろう、とジャンゴは顔を赤らめた。
いまだジャンゴの腕の中にいる猫が、茶化すように一声鳴いた。
おてんこさまは、ジャンゴたちと別れて別行動を取っていた。
去り際にヤプトが言っていた『シヴァルバー』の一言が、引っかかっていて離れないのだ。どこかで聞いた事はある。だが、それがどこだったのか、何を意味しているのかを忘れてしまったのだ。
「いかんな。全く」
おてんこさまが一人ごちる。今までの人生(?)が長すぎたせい……ではなく、リンゴやジャンゴと共に得た思い出が印象深すぎて、その他の事を忘れがちになっているのだ。
こういう時、人の意思を持って光臨した事をちょっとだけ不便だと思う。こうして思い出を均等に思い出せないのは、やはり人としての意思があるからなのだろう。
それでも、人の意思を持って下界に降りることは悪くない。こうして戦友(相手は邪魔者と思ってるかもしれないが)と思い出を築くことが、明日への希望に繋がるということがよく分かるから。
と、おてんこさまは懐かしい思い出に浸るのをやめ、本来の目的をきちんと思い出す。
目の前には、図書館があった。
「四方封印の極意をどこで、ですって?」
「ああ。ギルドマスターのお前なら、少しは“禁呪”にも詳しいと思ってな」
それにここは図書館だ、とおてんこさまが付け加えると、レディは苦笑した。
レディは戦いを終えて、荒らされた図書館を整理していた。そこにおてんこさまが面会を求めたのだ。内容は、遺跡のことと『シヴァルバー』について。
本の整理を続けながらも、レディは「“禁呪”ならザジちゃんの方が詳しくなくて?」とおてんこさまに尋ね返すが、返されたおてんこさまは肩をすくめた。
「彼女は魔女だぞ?」
「それもそうね。でも私よりは彼女の方が詳しいのも事実でしょう?」
確かにそうだ。だが、彼女は『魔女』の理に縛られてしまっている。その隙間をすり抜けられる人物の方が、逆に情報を聞き出せるのではないかと思ったのだ。
レディもそれが分かっていて、あえてはぐらかして逃げようと思っていた。……まあ、相手が海千山千の精霊では到底無理だろうとも思ってはいたが。
「じゃあ、ちょっとしたヒントぐらいなら。物が育つに必要なのは、太陽と空気、それから大地。あともう一つは?」
「……なるほど」
そのヒントで、おてんこさまはもう一つ隠された伝説のある場所にめどをつけた。
空の大聖堂、地の暗黒街、太陽の螺旋の塔。そして海の……。
「すまない、情報を感謝する」
「気をつけて」
レディはおてんこさまを見送った。
宿屋で、ジャンゴは自分が戦ってきた相手の事をサバタたちに話した。特に、「亜生命種」のくだり辺りを詳しく説明する。自分も同じ存在だということも。
そのあたりで一番大きく反応したのはサバタだった。
「亜生命種!? 確かにそのザナンビドゥがそう言ったんだな!?」
「え? あ、ああ、うん。ヤプトは僕もその亜生命種だって言ってた。もしかしたら、リタもそうかもしれない」
「そうか……」
サバタが厳しい顔で、ジャンゴの言葉を反芻する。不思議に思ったカーミラとザジがサバタの顔を同時に覗き込むと、サバタは顔を上げた。
「俺が巻き込んだスキファとフリウも『夢子』と呼ばれる亜生命種だった。あいつらはイモータルにされた後、俺に興味を持った奴らに利用されたと言っていた。
もしかしたら、スキファとフリウを利用した奴らはクストースという奴らじゃないかと思ってな」
「え? 亜生命種ってたくさんいるの?」
ザナンビドゥやヤプトが語るまでてっきり自分とリタだけかと思っていたジャンゴは、サバタの説明で目を丸くした。説明したサバタ本人も、ジャンゴからクストースの話を聞くまでそうだと思っていたが。
サバタが会ったあの双子の姉妹、ジャンゴと戦ったザナンビドゥ。そしてジャンゴとリタ。それらは全て「亜生命種」という繋がりがある。だが、ジャンゴたちはその繋がりがよく分からない。
自分たちは一体どういう存在なんだろう。
光と闇を同時に兼ね備えた存在ではあるが、同時に生命種でも反生命種でもない。ジャンゴは自分をそう思っていたが、意外ともっと深いものなのかもしれない。
少なくとも、ザナンビドゥは稲妻を自分で呼び出せたし、あの土塊の豹を操った。そして自分自身も豹に近い存在に姿を変えることが出来た。まるでイモータルのように。
(イモータル、か)
黒ジャンゴの姿を思い出して、ふっと苦笑がもれ出てしまった。自分もイモータルに近い格好になれるじゃないか。条件は自分の方が合っている。
ジャンゴの苦笑を見て、全員が不思議そうな顔をした。見られたことに気づいて、ジャンゴはぱっと恥ずかしさで顔を赤らめてしまう。元々照れ屋なので、ちょっとした事で顔を赤くしてしまうのだ。
サバタはそんな弟を見てふっと笑ってから、真剣な顔に戻って話を続ける。
「俺は亜生命種の事は良く知らない。だが、黒ずくめの男…ヤプトと言ったか? あいつは知っているんじゃないのか? 事件の黒幕、かは分からないが、少なくとも核心近くにはいるはずだ」
その言葉にジャンゴは深くうなずく。ザナンビドゥを格下扱いしていた彼は、間違いなくグール大量発生事件から自分の周りで起きた事件の裏にいたはずだ。
キーワードは「亜生命種」。これだけは確かだ。
自分がそのキーワードに引っかかったのはエターナル事件でのこと。リタは生まれたときからそのキーワードに引っかかっている。だが、兄たちはそのキーワードに引っかかってはいない。
もう一つ、何かキーワードがあるのだろうか。ジャンゴはそれを考えるものの、心当たりはなかった。
と、ジャンゴはそこまで考えて『シヴァルバー』の事を思い出した。そういえば、まだこれは話していなかった。
「ねえ、『シヴァルバー』って知ってる?」
ジャンゴの問いに、サバタとカーミラは顔を見合わせた。首を傾げるあたり、どうやら二人は心当たりがないようである。
だが、ザジは掴みにくい顔で考えている。とりあえず心当たりはあるのだろうが、それが答えになるのか分からないようだ。
気になるのでちょっと急かしてみると、ザジは顔を上げて答えてくれた。
「『シヴァルバー』っつーのは、地獄の名前の一つや」
おてんこさまは地下水路に来ていた。レディの出したヒントを元に、ここにも何かがあると踏んだのだ。
かつてダーインに封印され、クロの体に移された時は、サバタに抱えられてここを調べられなかった。だからここに何があるのか分からずじまいだったのだ。
ドヴァリンが封印されていた場所。彼女を封印せざるを得なかった場所。そこにも、きっと何かがある。
おてんこさまはアンデッドを警戒しながら先へ進む。未だドヴァリンの残香を求めてうろついているアンデッドは、かなり強いものが多いからだ。
警戒が功を奏したらしく、アンデッドに気づかれることなく楔の間近くへとたどり着く。ここでダーインは完全に(正確には不完全なままだったが)リンゴを乗っ取ったのだ。
しばらくリンゴへの黙祷を捧げた後、おてんこさまは丁寧に調査を開始する。楔の間はドヴァリンの残香が酷かったが、それでも太陽感を全開にして注意深く探る。
地上は反応ナシ。だが――
「水の中だと?」
水の中で強力な魔力を感じた。ドヴァリンの残香に負けず、今もなお強い力を発している何か。
おてんこさまはそのまま水の中へともぐっていく。精霊体である彼は、溺れたりはしない。普通の人間なら耐えられない場所も、平気でいられるのだ。
光が届かなくなるほどの深い水の中で、おてんこさまは完全に閉ざされた部屋を発見する。そのまますり抜けて部屋の中に入った。
部屋の中は、あの遺跡の隠し部屋と全く同じ部屋だった。壁に書かれてあるモノは全く違ったものだったが。
読んでみると、これは転移についての魔術を極めるためのものだった。場所移動だけではなく、時間移動、次元移動も研究されていたようである。もちろん、“禁呪”だ。
空間に直接干渉する転移魔法から、四方封印が生まれたのだろう。おてんこさまはざっと流し読みをして、残された装置も調べ始める。
――そして、“偶然”起動させてしまった。
『目覚めの時ですよ……』