その夢を見たのは、あの事件から1週間ほど経った頃だった。
――あんたのその顔で、心残りが出来てしまった。
名前を名乗った記憶はないのだが、少なくとも「彼」は自分を認識してくれていたらしい。数分にも満たない出会いと別れだったが、それだけ印象に残ってくれたのかと思うと、悲しい反面嬉しくもある。
彼はこちらを見ることなく続ける。
――月明かりの奥で、好みの菓子とかを並べて、ちょっとだけ話でもしないか。
あの閉じた世界ではお菓子自体高価で、好きなだけ望める物ではなかっただろうに。それでも並べて待っていると言う辺り、本気で自分を誘っているのだろうと感じられた。
どうやら今回のお誘いは、私一人だけのようだ。自身を倒した才悟をはじめとした同期の名前を、誰一人として上げなかったから。
彼らへの言葉はもう何もないのかも知れない。それはそれで寂しいが、心を決めているのなら仕方ないのだろうとも思う。
――もし来てくれるなら、少しは面白い話を用意しておくよ。
そこまで誘う文句を増やさなくても良かろうに。
ちょっと面貸せぐらいでも彼の誘いなら喜んで行った。何せ、自分も言いたい事の一つや二つはあるのだから。
まあ、面白い話とやらは興味あるから、是非とも受けようじゃないか。
笑ってその誘いを受けようとして……私の目が覚めた。
心残り。なかなかいい響きだ。どういうからくりかは知らないが、あちらから話がしたいと言うなら是非とも行きたい。
しかし、持て成されるだけではつまらない。せっかくだから仮面カフェのお手製ケーキでも持って行こう。あいつらが何かと食べている物を少しずつ持って行って、大規模なお茶会にしてやろう。あそこは時間の流れが普通とは違うから、大量に持って行っても大丈夫のはずだ。
たった一度しか行われないお茶会。せめて少しでも楽しく演出したいと思ったっていい。
五期生の一人で、彼らにとって目標でもあった男――久遠瞬十。
そんな彼から、どのような話が聞けるのか。今から楽しみだ。
「やれやれ、ここか」
仮面カフェから少し離れた路地裏。そこに誰にも気づかれずに、ぽつんとカオストーンが落ちていた。
Siruですら反応しなかったそれこそ、今回のお茶会の招待状そのもの。
私はそれを拾い、光にかざす。招待状はちゃんと光り輝き、お茶会への扉を生み出した。
扉をくぐれば開けた場所にたどり着く。今まで見たことのない場所だが、不安は一つもない。何故なら、ここの主が不安要素を一つでも用意するとは思っていないから。
その証拠に。
「ああ、来てくれたか」
黒い詰襟のアカデミー制服に身を包んだ男……久遠瞬十が微笑んで手を上げた。
「お招きありがとう。楽しいお茶会になるといいねえ」
こちらも微笑んで挨拶を返す。
「紅茶は飲めるかな?」
「問題ないよ。為士に鍛えられた」
「あいつか」
瞬十の顔が緩む。神威為士の紅茶好きは、アカデミーの頃から変わらなかったのだろう。その証拠に、瞬十も「俺もあいつに鍛えられたなぁ」と懐かしむように呟く。
誘われるままに付いて行けば、見晴らしのいい場所にたどり着く。
純白のテーブルクロスが敷かれたテーブルの上には、既にいくつものお菓子と紅茶が入っているであろうポットが置かれている。完全にお茶会のそれだった。
並んでいるお菓子はチョコがかかったドーナツやエクレアなどの焼き菓子。本格的な洋菓子ではなくスーパーやコンビニで買えそうな物な辺り、狭い世界しか覚えていない彼らしいと言うべきか。
私は笑って、ホールケーキサイズの箱からケーキとクッキーを出した。両方とも、適当な言い訳を並べてレオンに作ってもらった物だ。
「……!? わざわざ持ってきたのか?」
「ああ。あいつらが食べてる物、知りたいだろう?」
正確には好物とは違うのだが、ケーキもクッキーも出せば食べてくれる物なのは間違いない。特にシンプルなショートケーキはご馳走の一つとして好かれていた。
ティッシュの上に大小さまざまなクッキーを置くと、瞬十がふふと笑う。
「確かに、アカデミーではめったに見られない物だ」
「紫苑なら材料があれば作れそうだけどね」
「ああ、確かに」
そんなささやかな出だしから始まる過去話。紫苑の料理の鉄板ネタから、同室の慈玄のささやかな、しかしやりすぎな気がしないでもないトレーニングの数々。
ポットから流れる紅茶に目が行けば、そこから始まるのは為士と狂介の尽きぬ喧嘩のネタ。それを諫める松之助や雨竜、たまにはやし立てたりする陽真。
そして、それらを一歩離れた場所で見ていた才悟。
「あいつが一番変わった」
目に見えぬ「ライダー」という殻に自ら囚われ、動くことすら放棄していた男は、アカデミーと言う庭から解き放たれた今、竜胆色の目で広い世界を見ている。でもそれは。
「変わったと言うより、ようやく生まれたって感じさ。まだまだこれからだ」
これしかないと言い切る男は、今一つずつ大事な物を拾い集めている。そのしぐさは、幼子が世界を認識していくそれに似ていると思う。
「そんな風に見て取れる人間がいるのも、変わっていっている理由だと思うよ」
瞬十の指が、クッキーの山で少しだけ彷徨う。ためらいがちに拾われたのは、プレーンなそれだった。
チョコは苦手なんだと苦笑いを浮かべる彼に、男はそんなもんだと笑みを返す。全ての男がそう言うわけではないけれど、と付け加えて、私はチョコチップ入りのクッキーを手に取る。
レオンが作ったそれは、私好みの味だった。
お茶会はまだ終わらない。
テーブルに広げられたお菓子はなくならない。だけど、食べきる理由も必要もない。
酒が好きな者の墓前に酒を供えるように、これもまた一種のお供え物というやつだ。そんな事を暢気に考えるのは、この甘い香りのせいだろうか。
紅茶を自分のカップに注ぎながら、瞬十がぽつりとつぶやく。
「小さなものでも」
注ぎ込まれた紅茶に映る顔が揺らぐ。どれだけ願っても、ここにいる男はすでに亡く、このお茶会はいずれ終わるのだと告げるかのようだ。語りたい事はまだたくさんあるのに、それを許してくれはしない。
そしてそれを知っているのは、目の前の男も知っている。
「残せたら、と」
つぶやきに寂しさを感じるのは、きっと間違いじゃないだろう。
彼は逝くのだ。
私は目を伏せ、餞になるであろう言葉を探る。
「憶えているさ、あいつらは」
本当に忘れてしまわないように。
そしていつかは昇華できるように。
「忘れるほど狭い奴らじゃないし、弱くない」
紅茶を飲み終える。為士が鍛えたという紅茶の味。これもまた、忘れられないものとして残っていくのだろう。
「心配なら、たまに顔を出せばいいさ」
こうして私を誘ったように。
そう告げると、瞬十は破顔する。自分でやったくせに、すっかりと忘れてしまっていたようだ。
重ねたものは決して消えない。それを辿れば、いつでも会える。だから気楽に大丈夫とは言わない。テンプレ的な言葉は言うけれど、それが本質ではないとは彼も気づいているはず。
「戻ってくる時は一旦考えな。あいつらに会うと言う意味をね」
「……ああ、ありがとう」
私は立ち上がり、笑顔で手を振る。さようなら、とまたいつか、を含めた挨拶。瞬十も同じように手を振って返す。
日の出の輝きに照らされて、お互いの影が見えなくなっていく。
その輝きに背中を押され、私は元の世界に帰る。
そしてお茶会の扉は静かに閉じた。