リタが手荷物をまとめていると、部屋の外でわいわいと騒いでいるのが聞こえた。驚きというより、黄色い歓声だった。
不思議に思ってドアに近づくと、開ける前にドアが開かれた。
「リタ、王子様がお迎えに来たわよ♪」
同僚の言葉に、リタは首をかしげた。
背中を押されて門前に来ると、そこにはジャンゴとおてんこさまがいた。待っている間ずっと質問攻めにあっていたらしく、ちょっぴり顔がやつれていた。
どうやら王子様、というのはジャンゴのことらしい。リタをここまで連れてきた同僚がくすくすと意味深な笑いを漏らしていた。
「あ、顔を出したら、巫女長さんがリタも帰るって言うから、一緒に帰ろうかって」
ジャンゴが説明すると、周りの巫女達がきゃーっと騒いだ。どんな職業であっても女性は恋愛話が好きなものである。特にこういうカップルの話は。
「いいわね~、好きな女の子と一緒に帰るなんて」
「あーあ、ジャンゴ君可愛いから狙ってたんだけどな~」
「うらやましい~。私も言われてみたいな~」
照れ屋なジャンゴはすぐに顔を真っ赤にする。その様子を見て、リタはちょっと困ってしまった。
本当はリタは一人で帰りたかったのだ。付き添いがいると、どうしてもそっちに気が行ってしまって考え事が出来ない。特に今は、深い悩みがあるのだ。
とは言え、ここまで騒がれると「一人で帰りたい」なんて言えるわけが無い。
結果、リタは無言でジャンゴの手を取った。これ以上騒がれるより、さっさと帰った方が無難だと思ったからだ。
手を取られたジャンゴは、慌てて巫女達にお辞儀をしてリタの後を追った。
リタはまだ無言でジャンゴの前を歩いている。
もう手は離していた。
「…怒ってる?」
「そんな事ありません」
ジャンゴの問いもつっけんどんに返す。彼は後ろを歩いているので、どんな顔をしているのかは分からなかった。
自分の態度を見てそっとしておこうと思ったのか、ジャンゴはいつしかおてんこさまと話し合っていた。それをBGMにして、リタは一人考えにふける。
――知りたければ、サン・ミゲルの両親の家を調べるんだね。
リタは物心ついた時から、ずっと祖母の家に住んでいた。
リタにとって家はそこだけだったし、別の所に家があるかなんて考えたこともなかった。
だが考えてみれば、自分の両親が別の家で住んでいてもおかしくは無い。祖母の家は2世代住宅にしては小さかったからだ。
しかし、何故祖母は両親が住んでいた家を放っておいたのか。
持ち主が行方不明になったから、という簡単な理由ではなさそうだ。行方不明だったら、帰ってくるまで家はきちんとしようと思うのが親心のはず。
放っておきたいほど嫌っていたなら、リタを引き取ろうだなんて考えるだろうか。
導き出される推論は唯一つ。あの家に、リタを近寄らせたくない何かがある。
サリアは祖母からそれが何か聞かされているはず。日記には、彼女と祖母は昔からの付き合いという事で何回か会っていたことが書かれてあった。
おそらく自分が死んだ後、残された孫娘は最初からそこに預ける気だったのだろう。葬式の日に彼女が来たのも納得できる。
家に一体何があるのか。そこで欠けた自分のパーツが見つかるのか。
何もかもが不透明で、不安だらけだった。だから見ようと思った。
明日もまた日は昇る
ジャンゴの口癖。
彼はこの一言を支えに、今までまっすぐに歩いてきた。日は当たっていても、真っ暗な道をただひたすらに歩いてきた。
いつも心に太陽を
自分の口癖。
自分はこの一言を支えに、前を歩いていかなければいけない。前が見えない霧の濃い道を。
サン・ミゲルの街門。
リタはそこで足を止めた。
今までずっと話し合っていたらしいジャンゴとおてんこさまも足を止める。
「どうしたの?」
ジャンゴが首をかしげる。このまままっすぐ行けばすぐに商店街。今のリタの家でもある果物屋だ。
リタはジャンゴとおてんこさまに微笑みかけた。
「いえ、前の家に寄ろうかと思って」
「前の家?」
「はい。ここに戻ってくる前まで住んでいた家です」
嘘だけを言ってはいない。確かに祖母の家は前住んでいた家だ。
だが本当に寄る場所は祖母の家ではなく、その近くにあったらしい両親の家だ。
本当を混ぜて言ったためか、ジャンゴたちはその嘘をあっさり信じた。
「じゃあ、ここでお別れだね」
「ええ」
「それじゃ、またね」
リタは挨拶を返さなかった。
両親の家の場所はサリアが書いてくれた。太陽結界と太陽樹のおかげでアンデッドはうろついておらず、家はほとんど無傷の状態で残っていた。
ドアを開けると、歓迎したのは大量の埃と蜘蛛の巣だった。リタは大きく手を払って、それらの歓迎を流す。
玄関、ダイニングを通り、個人部屋に行く。
一番最初に開けた部屋はおもちゃやぬいぐるみがたくさん残った子供部屋だった。もし、両親に何らかのトラブルが無ければ、リタはこの部屋で育ったのだろう。
埃やすすまみれで黒くなったぬいぐるみを手に取る。自分がぬいぐるみを持って外を駆けずり回っていたのは、たった6年足らずだった。スミレに上げようか、とふと思う。
ぬいぐるみを置いて、別の部屋に向かう。今度は書斎だった。ぼろぼろの装丁から何とか読める文から想像するに、どうやら父親の書斎らしい。
リタは机においてあるフォトスタンドに気づいた。手に取ってみると、セピア色に変色した写真が入っている。すぐに両親の写真だと分かった。
生まれて初めて見る両親は、穏やかな微笑を浮かべている。母親らしい女性は、どこと無くリタに似ていた。
「……?」
リタは写真に何かの違和感を感じた。……いや、フォトスタンド全体にか。
目を凝らすと、所々に黒い点がある。墨かと思ったが、それにしては鮮やかな色ではない。リタはもっと凝視して、息を呑んだ。
血痕だった。