「おいこら颯、ちょっとは離れて歩きな」
「え~、おばちゃんさっさと歩くからはぐれちゃうよー」
あからさまに不機嫌顔になる天真爛漫な青年――颯に対し、中年女性――私は頭を抱えた。
時期は冬。
吐く息は白く、コートを着込んで歩く人々は寒そうにしているが、颯の元気はその程度では収まらない様子。
「全く、今日は午後まで寝てようと思ってたのに……」
「そんなぁ!」
苦々しい呟きに対し、大げさに驚く颯。
この時期珍しく休みが取れたので、午後まで家で寝るつもりだった。しかし朝っぱらから「おばちゃん遊ぼー!」と颯が襲撃してきたため、その目論見は水の泡。
そんな一回り年下の男に休み返せという恨みがましい視線をぶつけてやるが、相手はわざとらしいふくれっ面で応戦してくる。手ごわい。さすが実力ホスト。
だったらさー、とふくれっ面のまま颯が反論する。
「昨日のお酒の分、今すぐ払ってよ~。おばちゃん、まさかのツケにしてきたって宗雲嘆いてたよ?」
「ぐっ……、あの時あのクソ三十路に乗せられなければ……ッ!」
昨晩、クソ三十路こと浄の一声で始まってしまった酒呑み大会。珍しくフロアに出ていた(引きずり出された)皇紀は倒したものの、これまた珍しく浄が粘ったため、かなりの量の酒を開けてしまったんだっけか。その代金は……口に出したくない。宗雲の顔でいろいろ察した。
そういやツケで逃げる気はさらさらなかったので、午後はその代金を支払いに行こうと思ってたんだっけか。今隣にいる男には教えるつもりはカケラもないけどね。
それはさておき。
隣に並んだ颯はにこにこ笑顔で「今日何の日か知ってるでしょ?」と聞いてくる。軽く見回せばヒントどころか答えが載っているクイズに対し、何が楽しいのか颯はノリノリで答えを言ってきた。
「12月24日! クリスマスイブだよ~!」
「はいはい」
世界的なイベントの今日、当然ここ虹顔市もあちこちでイベントが予定されている。楽しいこと面白いことを制覇する、が口癖な彼にとって、今日は朝からテンション高いのも無理はない。こいつにとっては楽しみのおすそ分けなのだろうが、私にしては少し余計なお世話ではある。
しかしそれをストレートに言えば、それこそ泣き出す(ふり)かもしれない。ただでさえ颯はいわゆる「目立つイケメン」。ここで騒がれれば、それこそホストと客のもめ事として後ろ指を指されかねないか。
つい漏れ出るあくびをしつつ、私はお手上げのポーズをした。
「解った解った。今日は颯の行きたいところに付き合ってやるから」
「ホント? やったー!」
無邪気に喜ぶ颯。その姿を見て、本当に23歳かねと内心疑問に思っちゃったよ。私が早く子供を産んでりゃ、このくらいの子供がいてもおかしくないくらいだし。
「で、出かけるとしてどこ行くんだい?」
「えーと、まずは中央地区でスケート! あと虹色カフェでクリスマス特別仕様のジェラートが出るって言うから、それを食べに行く! 後は……」
笑顔のまま今日のスケジュールをすらすらと述べる颯。よどみのないその言い方からするに、前から予定を立てていたらしい。
それにしても、若いとはいえこのスケジュールはなかなかハードである。体力が落ちている40代の私、ついていけるか?
颯もそれに気づいたらしく、「まあ本命行ければ、あとはその時次第だけどね」と付け加えてくれた。助かる。
「それでもタフだねぇ。ウィズダムでも、クリスマスで何かやるんじゃないの?」
「うーん、一応やると言えばやるけど……僕としてはそっちよりこっちの方が楽しいかな!」
「宗雲に言いつけるよ」
「それはやだ! おばちゃん許してー!」
「ははは」
からからと笑い飛ばすと、颯もつられてけらけらと笑った。
「あれ、おばちゃん手を離さないの? 滑れないよ?」
「こ、これでも10年前はちゃんと滑れたんだよ!」
「うっそだぁ~」
「笑うな!」
「クリスマスツリーイメージのジェラートって、よく考えるもんだね」
「うんうん。甘くておいしいし! ……ってあーっ!」
「袖についちゃったかぁ。のんびりしてるからだよ」
「おばちゃん、わざと黙ってたね!?」
「スケートのお返しだ」
そんなこんなで数時間後。
「あ~、面白かった!」
「ほんと、あんたははしゃぎまくりだったねぇ」
「だって面白かったし。楽しかったからね!」
虹顔市の隣の市にある喫茶店で、私たちは一息ついていた。
この喫茶店は颯ではなく私が知っている店で、コーヒーやデザートが旨いお気に入りの一つ。それを話すと、颯は目を輝かせて「今度浄とか誘って来てみる!」と言った。
「道も覚えたしね♪」
「本当に記憶力がいいね……」
「僕の得意分野だよ」
にぱーっと笑う颯。しかし、その笑顔が少しだけ曇ったのを見逃さなかった。明るい彼にも、心のもやもやが1つ2つはあるようだ。
普通にそれを指摘すると、颯は「やっぱりおばちゃんは何でも解るんだね」と珍しい苦笑いを浮かべる。
「たまにさ、あれこれやってると、ちょっとだけこれでいいのかなぁって思っちゃうんだよね。もっともっと色んなことを楽しみたいけど、本当は1つのことに集中した方が良いのかな~って」
……なるほどね。
確かに颯の飽きっぽさは、彼の事をよく知らない私から見ても解る。ただ逆に言えば、それだけ早く切り替えないと次のものに取り組めないと言う証拠だと思ってる。颯はそれを承知の上で、飽きっぽいのを受け入れていると思っていたんだけど。
本当なら、そろそろ一つに絞れと言うべきなんだろう。でもね。
「……らしくない顔、してるんじゃないよ」
我儘だと解っていても、私は颯には笑ってほしかったし、いつものやり方を貫いてほしかった。
「人にゃそれに向いた距離感ってのがあるんだよ。颯はいろいろつまみ食いできる距離が向いている、それだけの事さね。
大体あんたは『世の中の楽しいことや面白いものを全部制覇したい』ってことに集中してるじゃないか」
そう言って桃色の髪に隠れたおでこを軽く小突いてやると、颯はぽかんとした顔になった。
「……考えたことなかったなぁ」
ぽかん顔のまま小突かれた場所を軽く撫でる颯。その顔を見ながら、私はちょっと冷めたコーヒーを飲みほした。
「考えるのもいいけど、考えすぎると頭がパンクするよ。昔から言うじゃないか。『頭空っぽの方が夢詰め込める』ってね」
「なるほど~……ってそれ、アニメの歌詞じゃん!」
「バレたか」
ひとしきり笑うと、タイミングよく店の柱時計が3時を知らせる。
冬の昼は短い。外の日差しも少し色味を帯びてきていた。
「そういや、そろそろ店に行かなくていいのかい?」
「あ」
忘れてた~とのんきに笑う颯。その顔を見るに、本気で今日も仕事なのをすっかり忘れていたようだ。つい数時間前にウィズダムの事に触れたはずなんだけどねぇ。
時間的にまだ余裕はあるが、そろそろ店を出た方がいいだろう。
会計を済ませ(付き合ってくれたお礼、と颯が出してくれた)、外に出る。寒い風が私たちを歓迎するが、明るい気持ちはその程度で収まらない。
「颯、ほらダッシュ!」
「はーい!」
寒空の下、私たちはウィズダムに続く道を走り始めた。