騎士と女王の物語・1

 ――これはミーティアが落ちる前の物語。

 

「はあ、ヴェリツィア国に、ですか」
 音速の英雄アシッド・エースシドウは、目の前にいる年下の女性にそう問うた。
 問われた女性……参謀長ルナは一つ頷いて、今回の指令を再度解説する。
「今回は単純に外交特使の護衛。それほど問題はないと思うけど、最近はディーラー国の動きが怪しいから警戒はしておきたいの」
「……確かに」
 隣国ディーラーは今、軍事力をひたすら強化している。そのやり方も強引で、やれどこそこの民族を滅ぼしたとか、やれ金で傭兵を雇っているなど物騒な噂も絶えない。
 それらの噂を裏付ける証拠はないものの、楽観的に受け取るには不穏すぎる。故にシドウが護衛として選ばれたのだろう。
 だが。
「……何故オレなんです?」
 ディーラーがヴェリツィアを狙うという噂はとんと聞かない。と言うのも、ヴェリツィアはミーティアより大国。そこを攻め落とすとしたら、ディーラーもただでは済まないはずなのだ。
 しかもヴェリツィアを収める女王、クインティアは「氷潔の女王クイーン・ヴァルゴ」と呼ばれるほどの切れ者。無策で攻め入ったら返り討ちは間違いないだろう。

 ……そこまで考えて、シドウはディーラーが取るであろう動きを予測した。

 ルナもそれを理解しているらしく、一つ頷いた。
「ディーラーが先にヴェリツィアと同盟を結んでしまったら、私たちミーティアへの足掛かりを手に入れたようなもの。
 それだけは何とか避けたい、と王のお達しなの」
「外交特使に『何か』があったら大変ですからね」
 含みを持たせた言葉に、ルナがまた一つ頷いた。だが今回は「それに」が付け加えられた。
「確か貴方、女王陛下と個人的に知り合いだったらしいわね?」
「……子供のころ、ちょっとだけ遊んだ。よくある話ですよ」
 シドウは昔、ヴェリツィアで過ごしていた時があった。その時、まだ王女だったクインティアとその弟ジャックと遊んだことがあったのだ。
 しかしそれも数日の事。ヴェリツィアからミーティアに移動してからは、交流はおろか手紙のやり取りすらしていない。もしかしなくても、自分の事は忘れているだろう。

 ――またいつか会おうよ。その時は……。

 昔の自分が言った言葉が頭に浮かぶ。
 あの時、自分は何を言ったのだろうか。

 任務を正式に受けたシドウは、準備を始めた。
 ミーティアからヴェリツィアまで、徒歩で一週間近くはかかる。今回は馬車を使うので、その道のりは二、三日程度だ。
『シドウ、忘れ物しないでくださいよ』
「はいはい」
 魔導生物のアシッドがシドウの手元を見て注意してくる。細かい性格の彼は、シドウにとっては面倒でもあり頼れる相棒だ。
 確かにアシッドが注意する通り、荷物を再確認するといくつか忘れ物を見つけてしまった。先に気づけただけ御の字、と自分に言い聞かせて再度荷物をまとめていく。
『そういえば』
 そんな中、アシッドがぽつりとつぶやく。
『貴方とクインティア陛下は、どのような関係なのですか?』
 相棒の質問に一瞬首をかしげるが、アシッドはミーティアに来てから産み出されたことを思い出す。それなら知らないのも納得だ。
 どこまで話すか少し悩むが、この優秀な相棒は細かいところをすぐに指摘したがるので全部話すことにした。
「お前が生まれる前、オレの家族はヴェリツィアにいたんだ。年に一度の祭りの時、お忍びで街に来ていたクインティア……王女とジャック王子の姉弟に会ってな。その時一緒に遊んだんだよ。
 当時はまだ二人とも表に出る機会があまりなくて、お互い正体をべらべら喋ることもなかったし、普通に屋台巡りとかしたんだ」
『名前ぐらいは知っていたのでは?』
「ジャックもクインティア……ティアもよくある名前だぞ? しかもクインティア陛下は『姉ちゃん』と呼ばれてたことが多かったから、普通に街の子だって思ってたんだよ」
『……確かに』
 一応当時のシドウもヴェリツィア王に子供がいることと、その名前ぐらいは知っていた。しかし、その王女王子が目の前にいるとは夢にも思わなかったのだ。
 全てを知ったのは、祭りが終わってから。
 父親に正体を教えられ、ひっくり返った。またいつか、と気楽に約束したのを少し後悔したものだ。何故なら、祭りが終わってしばらくしてシドウ達一家は引っ越したから。
『その祭りが終わってから、ミーティアに引っ越すまでは一度も会ってないのですか?』
「まあな」
 アシッドの質問に短く答える。シドウは何回か城に行こうとしたものの、親に止められたからだ。当然、姉弟からこっちに会いに来たこともない。
 そして引っ越し。ミーティアに着いてすぐに、その凶報が届いてしまった。
「あっちで大地震が起きたって話は、すぐに聞いたよ」
 ヴェリツィア大震災。
 あちこちで地割れを起こした大きな揺れは、城や街を崩し、多数の国民を死に至らしめた。その中に、ヴェリツィア国王夫妻もいた。
「一部じゃ地震のどさくさに紛れて暗殺されたとか噂されてるが、とにかくその地震でヴェリツィアは王を喪ってしまったわけだ。
 本来なら揉めるところを、クインティア王女が女王に即位することで強引に収めた。そこらはお前の方が詳しいだろ?」
『ええ。貴方が知らないことまで知ってるつもりですよ』
 本来な一言で済むはずの応答に余計な一言も付け加えるアシッド。ちょっとムッとしつつも、話を続けた。とは言っても残り少ないが。
「かくしてオレはこうしてミーティアでせっせと働くことで、今の音速の英雄アシッド・エースが出来上がったってわけだ」
『なるほど』
 アシッドは納得したらしく、もうその先を急かすことはなかった。シドウはそんな相棒の後ろ姿を見て、ふぅとため息をつく。

(ヴェリツィア大震災、か)

 当時の事を思い出す。
 あの時、親を喪った姉弟の元に行きたいと駄々をこねてこねまくった。無理だと解っていても、親を喪って悲しんでいるであろう彼女たちの支えになりたかったのだ。
 だが現実は非情。その時のシドウにできたことは、ミーティアからのボランティアに参加して復興作業を手伝うことだけだった。
 何度城を見たか解らない。
 無邪気だった子供のころとは違い、ある程度の事情を知ってしまうと国との軋轢とかを考えてしまって行動が出来なくなる。思いだけが募り、自身の無力さを嘆くしかなかった。
(ああ、そうか)
 自分が英雄の名を求めた理由。
 大手を振って城を歩けるぐらいの名声があるなら、いつでも会いに行ける。そんな思いがずっと沈んでいたからだ。

 

 護衛当日。
「今回はよろしくね」
「いや、あんたなのかい!」
 外交特使として堂々と姿を現したルナに対して、思わず突っ込みを入れてしまうシドウ。ルナもその反応を予想していたのか、にやにやと笑った。
 ルナ曰く、別の人間も考えていたらしいが、今回は自分がいいだろうと直接命令が来たとのこと。その理由の方が聞きたかったのだが、深く突っ込むと藪蛇になりそうなので止めた。
「ま、私なら余計な邪魔が入ってもそれなりに対応できるだろうし、交渉で引けを取らないつもりよ。それに……」
「それに?」
 ルナの含み有りそうな言い方に突っ込むが、彼女はふふと笑うだけで何一つ答えなかった。

 道中は快適だった。
 警戒していたトラブルは何もなく、モンスターの襲撃も片手で数えられる程度だった。
 そろそろヴェリツィアが見えてくるというところで、シドウは改めて外を見回す。敵や不穏な気配は今のところ、ない。
「ヴェリツィア入りは問題なさそうですね」
 ヴェリツィア兵がいつ見ているのか解らないので、シドウは仕事モードに切り替える。ルナも同じく仕事モードに変わり、「そうね」と答えた。
「このまま城に入るわ」
「了解しました。アシッド」
『ええ』
 傍らに控える相棒を呼ぶと、彼はごそごそとしまってあった書状を取り出してルナに渡した。

 ルナの言う通り、馬車はヴェリツィアに入国後まっすぐ城へと向かった。城門を守る兵士に王のサインが入った書状を見せて、中に入る。
「ここからね」
「ええ」
 こちらを迎えるためにばたばたと動き回るヴェリツィア兵を見まわすシドウ。その内の何人かは、自分を見てあれこれ言っている。どうやら音速の英雄アシッド・エースの名前はここでも有名のようだ。
「ミーティアの使者ですね。どうぞこちらへ」
 兵士長がこちらに近寄って自分たちを応接室へと案内する。歩いて数分経たずについたその部屋は、如何にもなテーブルと椅子が置かれ、これまた丁寧に掃除がされていた。その椅子に、シドウとルナが座る。
「代表者を呼んでまいります。しばらくお待ちください」
 案内してくれた兵士長がそう言って部屋を出ていく。はて、とシドウは内心首を傾げた。
 代表者と言うあたり、来るのは女王ではないのは解る。だが、何故女王ではないのかが解らない。代理に任せるぐらい調子が悪いのか。……それとも、自分たちよりもっと位の高い人物を相手にしているのか。
 ルナもその可能性に気づいたらしく、眉根を寄せていた。小国ミーティアの使者よりも位が高い相手。嫌な可能性が頭をよぎった時。

 かたり、と耳が音を捕らえた。

 同時に扉の向こう側で懐かしい気配を感じる。その気配が誰なのかを悟ったシドウは、トイレと偽って部屋の外に出た。
「久しぶりだな」
 シドウが外に出たとたん、一人の少年に声をかけられた。最後に見た時よりだいぶ成長しているものの、その斜めに構えた態度は変わっていない。
 ヴェリツィアの王子でありクインティアの弟、ジャックだった。