孤独な欲望に囚われて・8

 机の引き出しの鍵を開け、日記を取り出す。
 そこには自分の今までの歩みが短文ながらつづられていた。

 自分の最初の記憶は、投げつけられる石と罵声だった。

 何故自分がそんな目に合うのか解らず、ひたすら泣いた。いつしか泣いても何も変わらないのに気付き、何もしなくなった。
 心を凍らせるのは簡単だった。諦めるのもだ。そうやって生きていくうちに、いつの間にか痛みも感じなくなった。
 次の記憶は、焼け野原。
 自分に石を投げていた奴らも、遠目で見ていた奴らも、臆病な奴らも、みんな焼け死んだ。

 完全に一人になった時、手を差し伸べて来たのは今のディーラー王だった。

 暖かい寝床と食事を用意しよう。
 そのようなことを言われたと思うが、もう覚えていない。いわゆる誘い文句だと気づいていたから。
 誘われるままにディーラーに行き、そこで様々な戦闘訓練を受けた。死にかけたこともあった。そのまま戦場に連れていかれ、たくさん人を殺した。
 最初人を切った時感じたのは、「こんなものか」という思いだけ。
 心のどこかで苦しい嫌だと泣き叫んでいたが、それが芯まで届くことはなかった。それよりも、もう自分は人ではないのだろうというあきらめの方が強かった気がする。
 自分がムー民族の一人だと知ったのは、そのころ。
 生まれた時から魔導の力を読み取り、それを操ることが出来た。自分ができるのだから周りができるのだと思っていたが、それが自分の体質だと知った。そして同じ力を持つ者はほとんどいない事も知った。
 本当に一人なのだと悟ったら、もう何も期待することはなくなった。
 孤高の戦士。無頼。
 そのように呼ばれるようになってから、自身をブライと名乗るようになった(そのころ生み出した魔導生物ラプラスだけは、自分をソロと呼び続けたが)。
 山積みの武勲に相応しいものを、と言われて渋々屋敷をもらい、そこで静かに暮らした。外側の評価だけ見て女たちが群がったが、徹底的に無視し続けた。
 戦場に生き、戦場で死ぬ。誰にも看取られない。そんな生き方が自分にふさわしいのだろうと思った。

 ミソラに出会ったのは、そんな日常の中。

 出会った場所は戦場でなく、任務で立ち寄ったミーティア。
 広場で人々に向かって歌う彼女に、目を奪われた。
 目を引くほどの美貌があるわけでもない。ただ歌が上手いだけの少女。それなのに、彼女に強く惹かれた。惹かれてしまった。
 何かが欲しいと思ったのは久しぶりだった。気づけば彼女の歌を思い出し、その時の笑顔が脳裏に浮かぶ。
 これが恋なのだと知った時、深い絶望を味わった。
 欲しいと思うものは手に入らない。だから何も求めない。そうやって生きてきたのに、心の奥では彼女が欲しいと叫び続けていた。ここまで辛いと思ったのは、小さいころ以降だった。
 しかもミソラは幼馴染の少年……流星の勇者シューティングスター・ロックマンスバルと既に付き合っている、という噂もあり、諦めるしか方法がないと思っていた。結局自分は何もないのだ、と。
 ミーティア侵略戦の時まで。

 国民を逃がす兵士たちに紛れて、ミソラが戦場に飛び出していたこと。そしてそれを自分が見つけたこと。偶然が重なったこの瞬間を、見逃してはならないと思った。
 故にミソラを捕らえ、褒美として彼女を求めた。王もまた側室として彼女を欲しているのを知っていたからこそ、褒美という形で奪った。
 勢いで彼女の処女を奪った時、止められなかった自分に絶望した。そして、覚悟を決めた。このまま彼女にとっての悪人でい続けようと。
 その後は、ただただ耐える日々だった。
 どれだけ彼女を抱いても、心の中の冷たい風は止むことはなく、逆に彼女の視線や言葉に絶望する。心はずっと故郷と、最愛の男にあるのを再確認するだけでしかなかったのだ。
 地獄のような日々だった。それでも歯を食いしばって生きてきたのは、ミソラとのセックスに酔いしれていた部分もあったことと、自分が死ねば餓えた獣たちが一斉に彼女を襲うのが目に見えたからだった。
 いずれ彼女が自分の元を離れるとしても、その時別の何者かに犯されるなどあってはならない。

 かさり

 取り寄せた薬――避妊薬の数を数える。ミソラを犯す際、最後に飲ませる薬。
 これを飲ませておけば、ミソラは決して孕むことはない。その代わり媚薬効果もあるのだが、それで少しでもセックスの苦しみから解放されるのならいいことではあった。
 彼女を犯さなければ良いのは解る。だが、一度やり遂げると決めてしまった以上、手を出さないという方法はなかったのだ。
『ソロさま』
 ラプラスがふっと姿を現した。最近荒れ始めている街で情報収集してもらっていたが、収穫はあったようだ。
「ミーティアのレジスタンスが侵入しているらしいな」
『はい。もうじき動き出すかと思われます』
「だろうな」
 先日ミソラに語った通り、ディーラーは既にガタガタだ。外からは様々な国ににらまれ、内部はこの国の権力をめぐってのつまらない小競り合いが続いている。
 できれば陥落前にはミソラを逃がしたい。ソロは心の底からそう思った。
(そういえば……)
 窓の方を見る。
 屋敷の外ではミソラがばたばたと洗濯ものを取り込んでいた。最近の彼女は大人しく働くので、試しに監視抜きで外に出してみたのだ。
 一つも枷のない状態で逃げるチャンスにも拘わらず、ミソラに逃げる気配はない。先日の会話でこの国がまずいと聞いたから、あえてここにとどまることを選んだのだろうか。
(……いや)
 一つの考えが頭に浮かぶ。
 ミソラは先日の会話で、自分に同情した可能性がある。
 彼女の優しさと明るさはディーラーにも伝わっている。身分関係なく手を差し伸べ、誰にでも自身の歌を聞かせる歌姫。
 だとしたら最悪の流れだ。もし彼女が自分に同情してしまったら、自分がさらにみじめになってしまう。

 ミソラにとって自分は、夜な夜な犯してくる敵国の兵士。それでいいのだ。

 胸元に手をやり……つけていたペンダントがないのを思い出す。ある時から失くしてしまったペンダントで、今も見つかっていない。
 自分とムーを繋ぐ唯一のアイテム。手元にあった時は少しうっとうしかったが、無ければ無いで気になってしまう。
 ラプラス曰く、ミソラが持っている可能性が高いが、彼女からのアクションは何もない。まさか逃走資金にでもするつもりなのだろうか。
(まさかな)
 一笑に付す。宝石もついてないただのペンダントに、高値を付ける者は誰もいないだろうし、ミソラも重々承知のはずだ。

 

「ミソラの居場所はある程度絞りきれた。どうやら、あのブライの屋敷にいるらしいな」
『おいおい、マジかよ』
 シドウの説明に、スバルの召喚獣ウォーロックが驚きの声を上げた。

 ここはディーラー国内にある、ミーティアのレジスタンス。
 彼らは流星の勇者シューティングスター・ロックマンスバル、音速の英雄アシッド・エースシドウを先頭に、ディーラーに奪われた国を取り戻さんと動いていた。
 王の処刑の翌日結成されたレジスタンスは、既に何人かを密偵としてディーラー国に送り込んでおり、そこからの情報を元にタイミングを見計らっていた。そのタイミングが、明日になる予定なのだ。
「ミソラちゃん、無事だといいけど」
 スバルにとってミソラは大事な幼馴染の一人だ。昔勇者の名前の重さに塞ぎ込んでいた頃、自分を励まし支えてきてくれた女性。
 国内ではやれ付き合っている、やれ婚約したなどと噂が立っているものの、スバルとしては大事な友人であり、それ以上の存在ではない。それでも放置していいわけではない。
「どうも武勲を立てた褒美として、ミソラを連れて行ったらしいぞ。相手があの孤高の戦士だから、それほどひどい目にあわされてるとは思いにくいがな」
 孤高の戦士ブライの噂はミーティアでも知れ渡っている。誰ともつるまないが、名のある戦士たちをことごとく切り捨てていった凄腕の戦士。
 そんな彼が奴隷などに対してどんな態度をとるかは不明だ。しかし、わずかながら聞ける噂からするに、乱暴な性格ではないらしい。
「でも、戦わないといけないでしょうね」
 話し合いで解決できればいいがそれを許してくれるような存在でもない。戦うのは必至だろう。
 自分も流星の勇者という大層な二つ名をもらっているが、剣の腕は常人より上というレベル。ブライに勝てるかは正直自信がなかった。
『おい、へっぴり腰になってんじゃねえよ』
 スバルの不安を読み取ったか、ウォーロックが尻を叩いた。
『大事な奴が捕まってんだ。どんだけ強かろうがやるしかねぇんだよ』
「まあ、そうだね」
 ミソラがそこにいるなら、ブライが相手でもやるしかない。相手が強かろうが、戦って勝つしかないのだ。

 今後の方針が決まったことで、いったん解散となった。
「スバル」
 周りがいろんな場所へ飛び回っていく中、スバルはシドウに呼び止められた。
「何ですか?」
「これはみんなの前では言えなかったんだが……その、何だ。ミソラの事だ」
「ミソラちゃんの?」
 シドウの表情は微妙で、話すべきか黙るべきか悩んでいるようだった。その態度で、スバルは何となくミソラの近況を察してしまう。
「……ブライと、そういう関係になっちゃってるってことでしょうか」
「簡単に言えば、そうだ」
「そうですか……」
 さすがにスバルも表情が暗くなってしまう。年頃の男と女な以上、なってしまってもおかしくなかった。
 とはいえ、ショックがないわけではない。ブライは手を出さないとどこか能天気に思っていたのだが、現実は甘くなかった。
 シドウはそんなスバルの顔をまっすぐ見る。
「ミソラを許してやれよ。あいつだって喜んで足を開いたわけじゃないだろうしな」
「それは解ってますよ。ただ……」
「ただ?」
「ブライが憎いかと聞かれると、解らないです」
 それはスバルの正直な気持ちだった。