METEOS・47

 徐々にバケモノと化していく亡き上司と、過去の自分。間違いなく、コメット化の現象そのものである。
 しかしそれは、ある一点を越えてから大きく変化した。上司は変化が止まらないが、過去の自分はぴたりと変化が止まったのだ。
 そして、消え去っていく侵食。まるで浄化されたかのように、過去の自分は元へと戻っていった。
「……何……これ……?」
 フィアの口から、自然と疑問がこぼれ出た。
 コメット化は元に戻すことも、侵食を止めることも、ほぼ不可能だと言われている。コメット化した人間を解剖した所、体の構造からして大きく変化していたというレポートを、過去読んだことがある。
 しかし、目の前で起きている現象は、明らかにコメット化からの浄化。バケモノと成り果てようとしていた自分が、みるみるうちに元に戻っていったのだ。
 ……やがて、過去の自分が完全に元に戻る。意識を失っているのか、完全にバケモノと成り果ててしまった上司に対し、彼女は何の反応も示さなかった。
 人としての面影を捨てられたバケモノが、吼える。
「……っ!」
 目の前の出来事に呆然としていたフィアだが、コメットの咆哮で我を取り戻す。どのような状況でも、常に自我を保ち冷静であれ。それは目の前でバケモノとなった上司が教えてくれたことだ。
 ――引き金を引くのに、ためらいはなかった。
 銃の弾丸は確実に敵の身体を抉るが、止まる様子はない。コメット相手に、銃は流石に攻撃力がなさ過ぎるようだ。
 それでも、目の前に保護すべき人間がいる以上、ここから逃げ出すという選択肢は有り得ない。例え保護対象が、過去の自分であったとしてもだ。
 過去の自分は、いまだに動かない。ショックで立ったまま気絶したのか、それとも足がすくんで動けないのか。そんな彼女に声をかけようとした時。

「同胞よ、目覚めを歓迎する」

 凛とした少年の声が、後ろから響いた。
 その声が何かの鍵だったのか、活発に動いていたコメットが大人しくなり、棒立ちだった過去の自分がばったりと倒れる。
 そして。
「うっ……」
 急に自分の意識が遠くなった。意識を保とうとするものの、まるで電源を落とされたかのように自分の体と意思が思うように動かない。
 跪くかのようにへなへなと座り込み、うつぶせに倒れる。
 相手が倒れたと思ったか、声の主が横を通って自分の前に立った。
(……あれ……?)
 どこかで見たような……と考えた瞬間、フィアの意識は完全に消えた。

 鐘の音は完全に鳴り止んだ。
「くそっ! 何でおとなしくしてられねーんだよ!」
 結局両親を見つけられず、ラキは毒づいた。予想以上にイライラは脳内にたまっていたらしく、壁を殴りつけてもそれは収まらなかった。
 すでにあちこちでコメットの咆哮や、人々の悲鳴が聞こえている。8年前にファイアムを襲った惨劇は、寸分の狂いもなく繰り返されているようだ。
 それでも、ラキは両親や「ラキ」を探さずにはいられなかった。惨劇を回避する可能性は千分の一にも満たなくても、ないわけではないのだから。
 咆哮と悲鳴で満たされた街中を、ラキは聞き耳を立てながら走る。子供の泣き声、両親の呼び叫ぶ声。それを聞き逃さないためだ。

 ある一点で、足がぴたりと止まった。

「父さああああん! 母さああああん!」
「ラギィィィィィィィィィィィィィ!!」
 子供の絶叫と、大人の絶叫。
 親の異常に泣く声と、子供を逃がそうとする最後の親の声。
 目の前に広がる、悪夢の光景。
 ――ラキの記憶が当時まで遡って行った。

 突然の惨劇に泣き叫んだ自分。
 必死になって捜し歩いた自分。
 異形化していく親に突き飛ばされ、瓦礫の中に埋もれた自分。
 ――その異形化した親が、互いに食い殺しあうのを、瓦礫の中から見ていた自分。

 そこから先の記憶はない。気が付いた時、ラキはファイアムの軍属病院のベッドで、ただぼんやりと天井を見ていた。
 あの後聞いた話によると、どうも瓦礫の中にいたのが幸いして、コメットに殺されずに済んだらしい。とっさの判断とは言えど、父は最高の隠れ場所に自分をかくまってくれたようだ。
 両親は、軍が駆けつけた時には既に死んでいたらしい。かろうじて身体にへばりついていた身分証明書が、二人の身元を証明したと、兵士は言っていた。
 死者五千人以上。怪我人は、重軽傷あわせて軽く1万以上。生き延びられたのは、わずかに2割にも満たなかった。そんな大災害を、ラキは生き延びたのだ。
 そう。生き延びたのだ。ラキ自身知らない、「何か」で。
 あの時、自分が生き延びたのは、本当に瓦礫の中にいたからだけなのか。
 両親が変わり果てた姿を見た時、自分も何かに変わるような感覚を感じなかったか。
 泣き叫ぶ声に、咆哮が混じっていなかったか。

 視界の端に、「ラキ」が瓦礫の中から出ようとしているのが見えた。

「行くな……!」
 大声で叫んだつもりだったのだが、かすれた喉はかすれた声しか出さない。
 当然、「ラキ」がそれを聞き取れるわけもなく、少年は身体を無理やりねじ込む形で外へと飛び出した。
「ラキ」の目に、悪夢が飛び込む。吼え猛る、両親だったモノ。無造作に飛び散る、赤すぎる血。不気味にうごめく、肉体の一部。
 その悪夢のひとかけら――肉片が「ラキ」の顔にかかった瞬間、少年の思考は一気に限界を超えた。
「うわあああーーーーーーーーあああああああああああああーーーーーーーーああああああああああーーーーーーーーーーー!!!!」
 不規則な悲鳴が、彼の錯乱した精神を物語る。瞳孔は開き、口から泡がこぼれ、ただ闇雲に頭をかきむしった。
 そして、それをきっかけに変異が始まった。
 腕や足から異形のモノが生え、細胞が暴走したかのように肉体が脈動する。バケモノが、ここに生まれようとしていた。
「なっ……!?」
 記憶にない光景に、ラキが目を丸くする。
 コメットとなった人間はほぼ確実に元に戻れない、とフィアから聞いた。なら、自分は何故ここにいる? 何故、あの惨劇を生き延びることが出来た?
 ……その答えは、すぐに出た。過去のフィアと同じように、「ラキ」もある一点で侵食が止まり、それから浄化されていったのだ。
「……!?」
 予想もしていなかった出来事に、ラキはもう声も出ない。自分の隠された過去に、ただ黙り込んでしまうだけだ。
 浄化が止まり、「ラキ」は元の姿に戻る。ショックで彼は気絶したが、コメットに成り果てた両親が目をつけてしまった。人の心がなくなった今、我が子も標的以外の何物でもないようだ。
「ラキ」が狙われるのが解った瞬間、ラキは両親の前に出ようとした。このままむざむざと殺されては、自分がここに立つことができなくなる。
 武器がないのは知っていたが、体当たりでも何とかなるはず。そう思って飛び込んだ瞬間、ラキの足が止まった。

 自分と両親の前に、一人の少年が現れたのだ。

「お、お前!?」
 少年の顔に、見覚えがあった。ラスタルが覚醒したあの戦いで、自分達に戦いを挑んできたあの少年。
 彼はラキを見、「ラキ」を見やり……にやりと嗤う。
「今宵の降臨で、使徒を二人見つけられるとは……僥倖だな」
「何がだよ!」
 条件反射気味に声をぶつけるラキ。だが少年の方はただ嗤うだけで、ラキの問いには何一つ答えない。答える必要がない、とでも言いたいのだろうか。
 悲鳴と咆哮が耐えないこの地獄の中で、ラキはせめて一発でも奴を殴れないかと間合いを計り始めた。倒せなくとも、捕まえることが出来れば……。
 そんな事を考えつつ一歩前に出た時、視界の端にとどめていた「ラキ」が動いた。
 気絶したはずの「ラキ」はゆらりと起き上がり、上――メテオスを見る。ラキも釣られて見上げ……絶句した。
 メテオスは、今にもぶつかりそうなぐらいに接近していた。あの特徴的な目のような表面が、今でははっきりと見える。
 そして、「ラキ」が口を開く。

「--------------------------------------♪!」

 口からこぼれたのは、叫び声ではなく歌。
 その歌にあわせ、両親だけでなく周りにいるコメットも同じように「歌い始める」。咆哮が重なりあい、一つのハーモニーと成していた。
 歌は広がり、世界全体に広がったかのような錯覚を起こさせる。……いや、本当に広がっているのかもしれない。
 ラキも、知らない内に口を開いていた。ただぼんやりと開いていただけなのだが。
 だが、いつの間にかラキの口からも、同じように歌が出てきていた。